2021年9月21日
vol.907
つばめ学院の関口です。
今日のお話は私にとっても「現在進行形」のお話です。生徒にお話をする時にも形を変えながら同じようなお話をよくします。
私自身はお金が大好きだし、お金がたくさん欲しいと思っています。
44歳にもなり、経験も知見も広がっていますので、やはりこれまでのキャリアの中で最高の年収をしっかり稼ぎたいとも思っています。(いろいろとキャリアチェンジしてきましたけど)
そんな、私ですら思う事があります。
「幸せになる努力は大切」
お金は大事だけれど、お金だけで幸せになれるわけではないし、お金を無視してもいけない。
「清貧」とは違った「幸せ」についての考えです。
ちゃんと、最後に勉強の話もします(汗)
手段と目的
別に難しい話ではなく、「お金」って手段ですよね。という話です。
いまの小中学生でも、「金さえあれば幸せになれる」と思っている子は皆無です。
銀行の口座に10億円があったとして、それを使う暇もなく土日も働いて、愛する人も愛してくれる人もいない。
タワマンの最上階に住んで、食べるものも、着るものも好きに選べるけれど、特段の趣味もないし、打ち込む時間もない。
とりあえず、そういう生活に憧れる子はまずいません。
短期限定でなら「耐える!!」という子もたまにいますが。
私は「幸せになりたい」と思っています。
そして生徒にも言います
「君たちが”幸せになりたい”と思うなら、それが1つの目的だよね。お金は手段。だったら、その目的について考えてみる事は大切だと思うよ。」
幸せについてゆるく考える
「幸せとは」という問いは、哲学や思想の分野ではいろいろと議論されているテーマかと思います。
そういう重たい話とは別に、ゆるーく考えてみる事も大切だと思います。
卑近な例ですいません。
私が生きてきた中で感じた「幸せランキング」というのがあります。
「うわ〜、俺ってメッチャ幸せだな〜」って感じた度合いの強さをランキングにしてみました。
1位・・・子どもが生まれた時(と、その直後)
2位・・・結婚した時(と、その直後)
3位・・・子どもの幼稚園の運動会を見ていた時
私の目的は割と明確で、このランキングに近い「幸せ」を感じることと、さらに「それ以上」のものを探求することです。
ただ、普通に考えると、これほどの大きな(?)幸せ度をそうそう何度も経験する事は至難の業かもしれません。
小さな幸せを考える
幸せランキングまでいかないまでも、「うわ〜!うわ〜!!」って興奮してしまうような小さな幸せを考えることも大切だと思います。
こちらも卑近ながら、私の体験談を書こうと思います。
私には歴史と神社が大好きな友人がいます。彼と一緒に渋谷の宮益坂にある会場のセミナーに参加したことがあります。
その帰りです。
友人が言います。「どうしても行きたい神社があるんだけど、ちょっとだけ良い?」と言います。
場所はそこからすぐの「金王八幡宮」。渋谷警察の近くなので、本当に「すぐそこ」です。
断る理由もないので、一緒について行きました。(私はただ、友人と一緒に飲みに行きたかっただけです)
神社に着くと友人は興奮するわけです。「うわ〜!うわ〜!!」と。
私は全くわかりません。ただの神社です。
どちらかといえば、小さくて地味な神社です。
私は全く面白くもないし、興奮もしません。
後日、友人に勧められて読んだ本が「天地明察」です。
すると、その序盤に「金王八幡宮」が登場します。
主人公の渋川春海(安井算哲)は、この神社に奉納された絵馬を通じて、和算の天才である関孝和の存在を知ることになります。(どちらも実在の人物です)
確かに、その本を読んだうえであれば、友人の興奮も分かる気がします。
何も知らなければただの神社。
知っている人にとっては「あの神社」。
そこに小さな幸せの種はあるのではないでしょうか。
勉強にできること
やっと勉強の出番です。
「幸せ」のために、「勉強」ができる事はなんでしょうか。
それは、「幸せ」に通じるひっかかりを作ることではないでしょうか。
「うわ〜幸せだな」と無邪気に感じるためには、前提が必要です。
その1つが「あの」とか「あれが」といった前提知識です。
日々の何気ない風景・場所・気持ち。
そういったものであっても、感動に変わる瞬間があります。
でも、それには前提が必要なんです。
「そういう感動がある」という知識です。分からなくても、理解できなくても良いと思います。知っていれば。
その時が来た時に、「これが例のあれか!」と感動できるはずです。
最後に私が感じた最近の「小さな幸せ」をご紹介して終わろうと思います。
塾に本と漫画を置いたのですが、「線は僕を描く」という小説を読みました。非常に素晴らしい小説でした。水墨画に打ち込む人たちを描いた傑作です。
その中で、主人公の師匠の言葉があります。
「いのちを描くには手は遅すぎる」
という言葉です。
何度も読み返してみると、どんな植物や風景も厳密には一瞬として同じ時はない。という意味かなと理解しました。だからこそ、表現者は「どの瞬間」を切り取るかを決断しなければならない、と。
そして、数日前に小学生の前で平家物語を音読しました。
「分からなくてもいいよ。でも、なんかカッコいいよねって、共感してもらえると嬉しいな。」と前置きして。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。・・・」
これか!!
って、私が興奮しても仕方ないんですけど。。。
「ぼう〜ん、うん、うんうん、、、」という鐘の音に、「諸行無常」を重ねたんですよね。それは、水墨画の世界で「いのち」を表現しようとする芸術家の姿勢と同じなのだと思います。
そういう「感覚」に触れたとき、私は「幸せ」を感じます。
「うわ〜!うわ〜!!」って思って、皮膚が「ぞわぞわ」します。
そういう感覚を得るために、「たくさんの知識」と「たくさんの経験」が必要なのだと思います。
そう考えていくと、勉強をする人生って、「幸せに満ちている」と思いませんか?
最後まで読んで頂いてありがとうございます。