つばめ学院の関口です。
昨日から自塾のホームページでブログを更新しています。
そろそろアメブロを卒業しようかなぁなんて思っていたら、読者登録が100名になるという嬉しい出来事がっ!
どうしようかと、嬉しい悩みですね。
今日は朝から理社マラソンをしました。
お昼休みに、お気に入りのお店へランチに出かけました。
そこでの出来事。。。
隣の母子の会話です。
母「うわっ、これヤバい!」
子「うん。ホントヤバいね!!」
母「え?そっちもヤバい?」
子「うん。かなりヤバいよ」
一回の食事の最中に5回以上は「ヤバい」を連発(笑)
美味しかったんでしょうね。。。
そんな言葉のお話を書きます。
「言葉が感覚を作る」
そういう側面があると、私は考えています。
つまり、表現の多さは感受性の大きさにつながります。
例えば、先の例です。
「ヤバい」ばかりを使っている人が多層的な味を感じられるとは思えないんです。
おろらく、感じられる味は「ふつー」か「ヤバい」のどちらかではないでしょうか?
上品な味
濃厚な味
芳醇な香り
なめらかな舌触り
etc…
そういう感覚というものは、「それ」を指す表現を知るからこそ感じられるものではないでしょうか。
実際の例でもいろいろありますが、たとえば雨。
日本語では、時雨、五月雨、梅雨、春雨etc…
いろいろな表現がありますね。表現があるからこそ、日本人は様々な雨の違いを認識できるのであって、その逆ではないはずです。
そう考えていくと、「家庭で使うことば」ってとても大切な気がしてきますよね。
では、今日はひとつ大人向けのワークをご紹介します^^
実は私が中学生の時に、国語の先生に「ある言葉」を使わない読書感想文というものを書かされてことがあります。
その体験を土台にしたワークです。
次の文章を読み比べてみて下さい。
【例文1】
今日、私のとなりでランチをしている親子がいました。
親子の会話を聞いて、まず私が思ったことは「ヤバい」が異常に多いということです。
「ヤバい」という言葉は非常に危険な言葉だと思います。
なぜなら、「ヤバい」という言葉ですべてを表現しようとすると、感受性が狭くなってしまうと思っているからです。
【例文2】
今日、私のとなりでランチをしている親子がいました。
親子の会話を聞いて、まず私が気になったとは「ヤバい」が異常に多いということです。
「ヤバい」という言葉は非常に危険な言葉ではないでしょうか。
なぜなら、「ヤバい」という言葉ですべてを表現しようとすると、感受性が狭くなってしまうと私は考えているからです。
いかがでしょうか。何となく文章の雰囲気が違うことに気づいて頂けますでしょうか?
例文1に比べると、例文2のほうがずっと「大人っぽく」感じるはずなんです^^
例文1は中学生の感想文みたいな気がしませんか?
2つの文章の違いは「思います」という言葉を禁止したという点です。
中学生の時に「思います」を禁止された読書感想文は、本当に大変でした。。。
お子さんが大人になった時に。。。
例文2のような文章をしっかり書ける大人になってほしいですよね。
1人の大人として、「恥ずかしくない程度」の文章が書けて、さらに感受性まで広がるのであれば、多くの語彙を身につけるということは非常にステキなことなのではないでしょうか。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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