教えない塾

つばめ学院の関口です。


今日は「将来を見据えた指導」について書いてみようと思います。


塾にまつわる謎のワードとして。。。


「面倒見の良い塾」


というものがあります。


あれ、なんなんですかね?(笑)


なんとなく丁寧に教えてくれそうなイメージがありますね。



この先が大切なのですが、、、


・丁寧に教えてくれる塾

・あまり教えてくれない塾


はどちらが良いのでしょうか?



もちろん、「一概には言えない」と思います。


教えすぎてもだめだし、教えなさすぎてもだめ。


でも、この馬鹿げた問いは一度くらいちゃんと考える価値はあると思っています。


本当にどちらがいいのだろうか?



そうしないと、安易な考えで「面倒見のよい塾」を選んでしまます。


念のために書いておくと、私は「面倒見の良い塾」を全般的に批判しているわけではないです。



もう少しお話を進めますね。



つばめ学院では「教える事」をとにかく最小限にしたいと思っています。


教える内容も、時間も。


なぜなら教える時間に伸びている生徒はいないからです。


生徒が伸びるのは、自分で動いている時です。



なにより怖い事があります。


それは、


「教わる子」はそのまま「教わる人」になる可能性がある


という事です。



大人になってから「そんな事、まだ教わってませんから!」と声高に言う人がいます。


私もビジネスマンの時に良く見かけました。


そういう場合、「あー、申し訳ないない。次からちゃんとするから」と言って謝ります。


でも、次はないんです。


だって、そんな奴に二度と依頼しないから(笑)



ちょっと話しが発散しているように見えるかもしれません。。。


大丈夫でしょうか(汗)



これからたたんでまいります(^^ゞ


端的に言うと、「自走できる子」と「自走できない子」がいます。


これは育ち方に影響されると思っています。私は。



つまり、何でも教えてもらえる子は自走できなくなります。


だって、聞いたら教えてくれるんだから。


教えてもらわない子は自走できます。

そして、自分なりの自走を覚えて、勝手に磨かれていきます。



つばめ学院の例でいきます。


社会の用語が分からない場合。。。


入塾間もない子の多くは、先生に聞きます。


入塾してからの時間が長い子は、勝手にタブレットを使って、wikipediaを読みます。


どちらも理由は「面倒くさいから」です。



ここが面白いですよね。


面倒くさいから、先生に聞く。


面倒くさいから、タブレットで調べる。



塾歴の長い子にしてみると、先生を捕まえて聞いて、自分の納得いく答えにたどり着くまで言葉をかわして。。。


は、面倒なんです。


だって、「ただ調べてるだけだから」


思考を深めるための議論は有意義です。


ただ、知識を得るためだけなら、ツールの方が早くて正確です。



塾生は分かっています。


「どうせ聞かないとどうにもならない事しか答えてもらえない」という事を。


そして、最初は「仕方なく」自分で動きます。


その時気付くんです。


「自分でやった方が早い」という事に。


その上で。。。


間違ったら、先生に助けてもらえばいい。



学びの形は急速に変化しています。


学び舎たる塾も変化しなければいけない。



何でも「教えて下さい」は本当に危険です。


大人になってから、「教えて下さい」は「○○さんが言うんだから。。。」という態度に変化します。


一次情報にあたれない大人は、これからの社会では「弱者」です。


と、このあたりのお話はまた別の機会に書くことにします。



最後まで読んで頂いてありがとうございます。


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