つばめ学院の関口です。
私が大学院で研究をしている頃の話です。
ある友人と政治家についての話をしました。
いまでも、その友人の言葉は記憶に鮮明に残っています。
私は素朴な思いを友人に話しました。
「いや政治家も実際、大変だよなぁ。。。だってさぁ、選挙で負けたら「ただの人」になるわけじゃん。次の日からどう暮らせって話しじゃん。自分の生活考えたら、言いたい事も言えない場合もあるんじゃねーの?」
友人は毅然とそれを否定します。
「そういう奴は政治家になっちゃいけないんだよ。だから。」
「どういう意味?」
「あのね、自分の生活が選挙の結果で危ぶまれるような奴は選挙に出るべきじゃないんだよ。だって、生活のために政治の場での発言が変わるんだろ。その時点でもう資格がないんだと思うよ。」
「じゃあ、金持ちじゃないと選挙に出るな、ってはなし?」
「まあ、普通に考えたらそう。あとは、生活のリスクを背負ってても政治をしたい人間が覚悟を持って出るんじゃないかな。」
あまりに鋭い切り口に、驚くとともに尊敬に念を抱いたことを覚えています。
彼は自衛官として公費で大学院に来ている学生でした。
同期とは言え、私よりもいくつか年長で、かつ現場での多くの経験がありました。
いまでは自衛隊の幹部として立派に国防の一旦を担っていると聞きます。
前置きが長くなりました。
今日、この話しを引き合いに書きたい内容は。。。
「正しくあるためには、強くなれ」
という事です。
塾生に良くする話しは「まずは自分」という考え方です。
まず「自分」が強くなっていないと、周りに貢献できません。優しくもなれません。
「弱い人間」は必ず自分とバランスのとれた「弱さ」を相手に求めます。
こういう話しをすると、すぐに反論がきます。
「先生、強くなくたって周り貢献することも優しくすることもできると思います!」
それは事実。でも、私はレアケースだと思っています。
レアケースであるからこそ、美談になる。注目される。
私は生徒に「美談の主人公」になってほしいとは思っていません。
普通だけどメチャ幸せ
それを期待しています。だからこそ「まず自分」を「強くする」ことが必要です。
それを否定すると、安易な方に流されるケースが多い気がします。
「弱くたっていい」
「貧しくたっていい」
「できなくたっていい」
そんなことは、全力を出しきった後に考える話しです。
まずは全力を出して「自分が望むモノ」を掴みにいけばいい。そのための「強さ」を身に付ければいい。
いつもそう考えています。
「学ぶ力:は「生きる強さ」に直結します。
だからこそ、
自分の気持ちにまっすぐに
力を出し惜しみせず
傷つくことを誇りに思うくらいで
全力で向かっていって欲しいのです。
そういう「強さ」を持った人間だけが、はじめて「正しさ」を語ることができます。
常に「正しい」ことを語り、「正しく」生きるためには。
「強さ」も必要です。
だからみんなに語りかけます。
「強くなれ」と。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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