つばめ学院の関口です。
お隣の桜は見頃を迎えつつあります。
少しだけ、はらはらと花が散り始めるところも出てきました。
うーん。。。やはり桜は「散り際」の美ですよね〜
今日は指導の際にもらった質問をもとに書きます。
「使える英語」と「正しい英語」について。
今日、高校生(しかも進学校の特進クラス)から質問を受けました。
「先生、このテキストの表現なんですけど、実際にはあまり使われない表現だって学校の先生が言っていました。これってそのまま覚えてしまって良いですか?」
「うん。良いよ。でね、使われないってどういう意味で言っているんだろうね。友達との会話では使わないのか、本当にだれも使わない古い言い回しなのか。いずれにせよ、これが正しい英語であることは確かなんじゃないかな」
英語の指導をしていて、時々うんざりすることがあります。
ネイティブ英語至上主義
とでもいうやつでしょうか。
「学校の先生が、実はこんな表現は使わないって言ってた」
うん、うん。なんか得意げな表情が想像できる。
(その先生の顔しらんけど)
「英語を教える」ということの目的を見失っている気がします。
我々が教えるべきは「正しい英語」なんですよね。
教育者としては当然です。
日本語で考えてみると分かり易いです。
我々日本人の「日本語」なんて、ある意味では乱れまくっています。
なんでもかんでも「ヤバイ」ですませる子もいるし
「侘びしさ」と「寂しさ」を区別しないこともあるし
「ら抜き言葉」なんて、いまや完全な市民権を得た気がします
他方で、たまに外国の方が「見事な日本語を話すこと」がありますよね。
経済ニューズのコメンテーターなんて見るとおられます。
英語も同じだと思うんです。
「ネイティブが使う表現が正しい」
なんて、ずいぶんと卑屈なスタンスだなと思うんです。
我々は堂々と「正しい英語」を生徒達に教えてあげればいいと思っています。
それで、もし英語圏に言って話した時に、「そんな表現しないよ」と言われれば、「お前らの言葉は乱れてる」って言ってやればいいじゃないですか。
もちろん、TPOを適切に使い分けできず、おかしな表現になってしまった場合は素直に直せばよいだけ。
いずれにせよ、「日本のテキストには古くて堅い英語ばかり」という事をネガティブに言う論調には賛同できません。
古かろうが
硬かろうが
正しい「言葉」を身につける
それが、教養であり、その教養を身につけさせてあげる事が教育なんだと思っています。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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