つばめ学院の関口です。
今日は「塾とお金」の話しを書きます。
ご家庭で「塾選び」を考える際にもお役に立てる考え方だと思うので、是非最後までお付き合い下さい。
以前も少し書きましたが、私はつばめ学院を「安い塾、お手軽な塾、家計に優しい塾」にしたいとは思っていません。
そういう塾に魅力を感じないからです。
規模の経済という考えがあります。「同じ事」を「同じように」提供するだけであれば、大手塾さんやフランチャイズの塾さんの方が圧倒的に安く提供できるんです。
当然ですよね。。。
つばめ学院では、生徒の成績管理やら教材管理、果ては月謝の請求方法や請求書の文章。
こういうものを全て私がやるわけです。
あ、あと講師の先生の給与管理とか教育とかも。
こういう業務は「本部一括管理」の方が低コストでできます。
したがって、、、、
つばめ学院としては、「付加価値」で勝負することで塾としての「強さ」を得ようと思っています。
「安くて旨い」なら個人レストランはファミレスに勝てません。
個人のレストランであれば、「納得感のある価格で、常に期待以上の料理と時間を楽しめる」ようなお店の方がお客様に喜ばれやすいですよね。
話しを戻して、塾のことを書きます。
「投資」と「消費」の違いを考えて頂くと良いと思います。
私が考える「塾」というのは、その場を通じてお子さんの「教育投資」をして頂く場です。
(これは塾によって考えの違いがあるので、ご注意頂きたい点です)
私が意識する事は「その子の将来」です。
大人になった時にどう振る舞うことができるか?
そこに向けて、しっかり経験を摘んでもらう。
もちろん、学力をつけて、成績を上げ、受験に合格する。これは当然のことです。
ただ、それが「目的」になってはいけない。
「目的」になった瞬間に、それは教育投資ではなく、塾屋でのお金の消費になります。
もう少し具体的に書きますね。
つばめ学院では、「テキスト忘れ」は家に取りに帰るのがルールです。
塾のテキストをコピーすれば授業はできるかもしれません。
でも、大切な事が見過ごされます。
「どうにもならんものは、どうにもならん」
それを身をもって経験する事が見落とされます。
そういう事って世の中にはたくさんあふれています。
学生は免疫があまりに低いんです。いろんな大人に守られていますから。
つばめ学院では「自分のテキスト」で勉強することがルールです。
道具に対する意識が低いと、絶対に効果は上がらないからです。
野球をするのに、自分のグローブを忘れたからと言って、他の人にグローブを借りる。
そんな事を繰り返している人が野球をうまくなるはずがないですよね。
勉強も同じです。
もし、塾が「消費」の場だとしたらどうなるでしょうか。
当然、「授業をする」ことの対価としてお金を頂くわけですから、コピーでもなんでもして授業をします。
それがお金の対価ですから。
塾が「教育投資」の場であるならば、ルールにしたがってもらう事が絶対です。
取りに帰った結果として、その日の授業が終わってしまったとしてもです。
もちろん振替もしません。
そこに「価値」はありますよね。
その子は知ったんです。
「世の中には、どんなに弁解して、どんなに正当性を主張したところで。。。どうにもならない事もある」
という事実です。
そしてまた、次からの授業に「テキストを準備する」ことの重要性を別の観点から感じるのです。
結果として「その子の意識が上がる」のであれば、一回分の授業ができなかった事など問題ではないと考えています。
その子は「授業」以上に大切な事を知りました。
そして、その場でコピーして適当な対応をすれば、その子はその後もずっと「意識が低い」状態のまま授業に取り組み続けることになります。
そのまま大人になります。
それは、決してその子のためにはならない。
「授業するんでお金下さい」という塾は「消費」型のサービス業です。
消費は「その場で何が手に入るか」が対価の全てです。
投資は「将来、どうなれるか」が対価の全てです。
間違って欲しくないのですが、「対価の結果を先送りにする」という詭弁で「教育投資」の話しを書いているわけではありません。
「教育投資」型の塾は「消費」型の塾よりも、よほどしんどいし、覚悟が要ります。
少なくとも、その程度の覚悟がなければ決して生徒の将来に対する「教育投資」なんて言葉を軽々しくは使いません。
春期講習の谷間にある休日に、教室の掃除やって、面談やって、これを書いている。
そこで心意義を感じて下さい(笑)
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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