つばめ学院の関口です。
本日からつばめ学院は新年度の通常授業を開始します、
お隣のチビッコ公園の桜はすっかり葉桜になりました。
満開の桜もきれいですが、この新緑と桜色が混在する葉桜という時期も趣がありますよね。
個人的には、「葉桜」までしっかりと桜の季節を堪能したいと毎年思っているんです。
さて、本日はつばめ学院にとっての新年度がスタートする日です!
気合の入る日には、辛さ2割増(当社比)の文章をお届けしようかと思います。
今日のお話は「平等」についてです。
私はよく、「結果の平等」と「機会の平等」という表現をします。
表現を分けないと、混同してしまうからです。
よく「平等であるべき」という事が言われます。
この言葉の意味を勘違いしている子が多いんですね。
少なくとも、我々が住んでいる日本が「平等であるべき」と考えているのは「機会の平等」について、です。
「結果の平等」なんて望んでいないし、むしろ不平等であるべきなんです。
つまり
等しくチャンスを与え、結果に正しく差をつける
基本的な考えとしては、これを社会全体として全力で維持しようとしているわけです。
大切なので繰り返します
「結果の平等」なんて、誰も保証してないし、そもそも誰もそれを目指していない
(一部にそういう人はいるとは思いますが。。。)
大人の側からして、この「入口=機会」の大切さに異論唱える方は少ないと思います。
しかしながら、子供の側からすると話は別です。
簡単に放棄するんです。。。
大人が全力で用意した「機会の平等」を子供は簡単に放棄します。
ここでの「子供」という表現は、年齢が低いという意味ではなく、精神的に未熟な者。という意味で良いです。
せっかく全力で用意した「機会の平等」を放棄しておきながら。。。。
誰も保証するとは言っていない「結果の平等」がないと、後からわめく。
知らんがな。。。
の一言に尽きます。
少なくとも、つばめ学院の生徒にはそうなってほしくないので、ちゃんと授業では伝えます。
「大人が準備するのは、機会の平等だからね。君たちのご両親が塾に通わせてくれるのも、機会を増やしたいという優しさから。むしろ、これは不平等なのかもしれない。それでもやってくれている。その結果、自分の成績が振るわないと文句を言うなんて、おかしな話なんだよね。もらったチャンスは活かさないと。それを放棄しておいて。「自分は嫌だけどしかたなくやっている」なんて甘いことを言っている人間が、良い結果を持って帰るなんてことは、社会が全力で阻止するからね。だって、結果は正しく不平等であるべき、と考えているんだから。」
もちろん社会も、どこまでも不平等で良い。なんて考えてはいません。
だから、行き過ぎた不平等を是正するために、「最低限度」の生活は保証されるべきと考えています。
大切な事です。
「最低限度」の生活
は、保証すると言っているんです。人並みなんて保証しません。
この保証されるべき「最低限度」の議論には、私個人としてはあまり関心がありません。
それよりも、「機会が平等」であることが圧倒的に大切だと思っているからです。
全力で守りぬくべき「平等」は「機会」において保証されるべきものです。
それをあっさりと捨てる人間を救うことを「誠実」とは良いません。
くれぐれも、今一度、思い返して欲しいのです。
主体的に勉強している時間
と
主体的に遊んでいる時間
と
主体的に練習している部活の時間
このバランスが、そのまま結果に表れます。
それが、「平等」の本当の意味なんです。
「文句ばかり言って何もしない人間」と「いつも努力を重ねている人間」を同じとして扱うような雑な社会にはなっていないんです。日本の社会は。
それは、学生が望んでいようと、いまいと。
現実が「そうなっている」という話。
まずはその認識から、新年度をスタートしてみるのはいかがでしょうか。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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Monte Buhl (金曜日, 03 2月 2017 08:43)
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