つばめ学院の関口です。
今日は私の得意分野でお話を書きます。
「科学的な考え方」
について、しっかりと定義をもっている人は少ないように思います。
まして、その教育を子供にしている場所。というと皆無なんじゃないかと。
そういう観点から、今日はつばめ学院でのちょっとした小話でもする「科学的思考」について書いてみます。
「そんなの日常生活では必要ないでしょ」と思う人もいるかもしれません。
でも、そんな事ないです。考え方の基本ですから、知っておいて損はない、いやむしろ日常でも有用なお話なんです。
では、早速結論を書きます。
科学(Science)においてもっとも重視されるべき事は「再現性」なんですね。
私はこれを大学院の講義ではじめて知りました。
どういうことか?
全ての科学的条件が同じであれば、、、同じことが再現できる。
これが「科学的に物事を考える」の大前提にあります。
つまり、「科学っぽい言葉をたくさん使う」ことが科学的な思考ではないという事です。
よくありますよね^^
宇宙、エネルギー、真理、起源
そういう言葉をいくら並べても、それは科学的な思考とは言わないんです。
「誰がいつやっても」
同じ結果が得られる事を担保しなければ、ならないのが「科学」です。
ここまで「科学」に関する理解が進むと、実は考え方をもっと柔軟にできます。
さらに進めますね。
当たり前なんですけど、この「科学的思考」は面倒なうえに、考えを進めるのが遅いのが難点です。
もし、何か新しい考えかたや事象を発見したとしても
それを「誰がいつやっても」再現できなければ、科学的に正しいとは認めてもらえないんですね。
でも、世の中を見渡せば、そんなことはおかまいなしに新しい概念がどんどん出てくる。。。
つまり、「科学」はその定義から、、世のスピードにはついていけないのが当然です。
(唯一の例外は科学が変革の起点になるケースです)
この考え方を知らない人ほど落とし穴にはまります。
「科学的に証明されている事」=正しいこと
「科学的に証明されていない事」=いい加減なこと
という認識になってしまう。
そんなことないですよ。科学なんて、はっきり言って「説明できない事」の方が圧倒的に多い。
それが当たり前の話なんです。
「これは科学的に証明できないから間違っている」と言い出したら、何もできなくなってしまう。
そうやって「全てを科学で語る」なんて事をしようとする人が、「科学っぽい言葉」に踊らされてしまう。そんなふうに感じています。
科学は偉大な知の集合体です。
それでも、世の中の事はほとんど説明できていません。
宇宙のはじまり、生命の誕生、記憶・意識のある場所、物質の最小単位etc…
「以前よりはずっと説明できる事が増えた」という事にすぎないんです。
しょせんは、その程度
そして、科学に対する、その謙虚さこそが。
複雑な世の中を力強く生きる「しなやかさ」に通じるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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今日のお話に関心があった方は読んでみて下さい^^
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ごりんごりんご (日曜日, 10 4月 2016 18:00)
先生のブログで日々気付きを頂いています。
ありがとうございます。
関口良孝 (日曜日, 10 4月 2016 18:04)
いつも温かいコメントありがとうございます。
励みにさせて頂いて、今後も書いてまいります。皆様にとって、何かのきっかけを作れたならば幸いです。