公教育の本質

つばめ学院の関口です。

 

先日、「公教育の衰退について」という内容の記事を見かけました。

 

経年的に公教育を追ってきたわけではないので、衰退に関して軽々に意見を述べる立場ではないかと思っています。

 

 

ただ、書いておきたい事もあるんです。

 

それは、「公教育」と「私教育」の違いです。

 

もっというなら、公立学校と塾の違い。でも良いです。

 

このあたりが「すっきり」すると、「勉強なんて学校で十分でしょ」という事が言えなくなります。

 

なぜなら、「学校はそもそも、そのために存在しているわけではない」からです。

 

 

 

私の解釈からすると、「公教育の目的」をしっかり認識されている学校の先生は少ないように思います。

 

 

では、少しずつ細かい内容に入りますね。

 

 

日本にきた途上国の人が、日本で一発当ててお金を得る。

 

その後にすることってご存知でしょうか?

 

全てとは言いませんが、多くののタレントさん(オスマン・サンコン、ゾマホン・ルフィン)は、母国に学校を作ろうとします。

 

なぜでしょうか??

 

私はそこに「公教育の目的」があると考えています。

(もちろん、多少の本を読んでの受け売りです)

 

 

公教育の目的は大きく2つではないかと考えます。

・自国の知的生産性を向上させ、肉体労働だけにたよらず価値を産みだし、国を豊かにする

・自国内にある、「有能な人財」を有効活用し、より強い国力をつける

 

 

言うまでもなく当然のことですが、「公教育」というのは、国家などの「公」に利する教育なんです。

 

上記の2点を平たくいえば、「底辺の底上げ」と「優秀な人財の発掘」です。

 

 

さて、堅い言葉が続きました。

お話を戻します。

 

 

勉強なんて「学校の授業で十分でしょ」という考えが間違いであることを知って頂きたいのです。

 

公教育が担う役割は、「最低これだけは、全員ができて欲しい」というラインを上げていくことであり、またともすれば埋もれてしまった「能力の高い人財」をスムーズに「公」の中枢に導くことです。

 

決して悪いことではないです。

 

 

ただ、「あなたのお子さんの学力を伸ばす」という観点はゼロです。

 

公教育ですから。

 

えこひいきはいけません。

 

それは、「公」ためになりません。

 

全ての子に同じインプットを与え、そこからくるアウトプットの質を正確に評価する。

 

これこそが、公教育の本質だと私は理解しています。

 

 

誤解があるといけないですが、これが「悪い」と言うつもりはないです。

 

むしろ、公教育はそうあるべきです。

 

 

でも、各ご家庭にとっては違いますよね。

 

「まずは、我が子の成長と幸せ」を願うのではないでしょうか。

 

そして、それは「学校の勉強さえしっかりしていれば大丈夫」という感覚では弱い。ということです。

 

 

他方、私教育(塾)は真逆です。

 

えこひいきの塊です。

 

かけがえのない時間とお金を、塾にかけて下さったご家庭と生徒の期待に応えるために全力を尽くします。

 

他塾の生徒がどうなったかなんんて、「知ったことではない」とういのが本音です。

 

自塾で語り、泣き笑い、苦楽とともにした「生徒のことだけ」を考えて、徹底的にその子の将来を考えます。

 

それが「私教育」だと思っています。

 

 

「学校の勉強をちゃんとしていれば大丈夫」

 

という考えはもっともな正論です。

 

ただし、それは「公教育が担保する最低限をクリアする」という意味であり、「お子さん”だけ”が飛躍的に成長する」という事ではありません。

 

全ては、ご家庭がお子さんに何を望むか。だと思っています。

 

 

公教育、私教育のどちらが良いという話しではないです。

 

ただたんに「違う」んです。

 

その違いを認識しない人が多く、また公教育の現場ぼ教員ですら理解していない事があります。

 

少なくともその点はご理解頂きたいんです。

 

 

「学校の授業をちゃんと聞いていれば、勉強は大丈夫なんだ」と主張する先生にぜひ聞いてみて下さい。

 

「それは、一般的にそうなのか、ウチの子はそうなのか、どちらですか?」

 

 

そして、「どちらにおいても」と答えたならば、その方は「○○さん」というお子さん個人を見ているわけではないんです。

 

そして、それは悪じゃない。それが「公教育」なんです。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。