白黒はっきりしないのが大人

つばめ学院の関口です。

 

夏期講習も最初の3日が終わり、明日は休校日です。

 

かつてないバタバタの夏期講習になるかもしれない不安と葛藤しながら迎えた講習は、みな一様に静かに熱く集中する空間ができています。

 

一週間、まともな帰宅もせずに準備をし続けた甲斐がありました^^

 

 

今日のお話は、「少しでもマシな選択」に関して書いていきます。

 

 

中高生と毎日接していて思うのですが、人としての「成熟度」をはかる指標の1つが「あいまいさ」に対する許容度だと思っています。

 

つまり、「少しでもマシ」な選択をできるか否か。

 

中高生はこの視点が非常に弱いのです。

 

もちろん、未熟な若者ですから当然の事です。

 

言い方を変えれば、とても「純粋」だとも言えます。

 

 

いつも、「白黒はっきりさせてくれ」というエネルギーに満ち溢れています。

 

そして「先生」という存在は、その「白黒」をはっきりさせてくれる存在だと思っています。

(同様の誤解をしている学校の先生がいるように思いますが、その批判は別のところで・・・)

 

生徒たちはいつも「私なんてダメなんです」「俺って、マジで凄くないっすか」と言います。

 

 

いままでよりも「頑張った」けど結果が振るわない「私」は「ダメ」な人

 

全く勉強しないで受けた試験で平均点を超えてしまった「俺」は「デキる」人

 

どちらも間違いです。

 

結果には必ず理由がある。

 

だから、その理由を諦めずに探す事はものすごく大切なんです。

 

と同時に、ものごとは「常にグレー」である事を知ることも大切です。

 

「グレー」なものを「グレー」のまま受け止めて、限りなく「白」に近づけるために分析と努力えを怠らない。

 

そういう姿勢こそが、人を強くします。

 

 

あまりに「純粋」な中高生と話す時に、私はいつも「グレー」な回答をしているかもしれません。

 

そして、その「グレー」を白くするための最善を尽くすよう伝えます。

 

きっと、それを理解してくれた子なら。。。

 

選挙で「投票したい人がいないんです」

 

とか、間抜けな事は言わないはずなんです。

 

 

いるわけないだろ(笑)

 

 

現実の世界は常に「よりマシ」な方を全力で選択しています。

 

その「あまり報われない」けど「全力」の選択の上に、求める結果が輝いている。

 

いつもそう感じています。

 

 

 

今日は終始、抽象的なお話になりました。

 

 

 

最後に今日のブログのきっかけになった

 

為末大さんに関する記事をご紹介して終わります。

 

 

 

最後までお付き合い頂いてありがとうございます。