つばめ学院の関口です。
今日は意外な落とし穴についてのお話です。
「分かりませんでした」は悪である。
というお話です。
塾の中では、テストの答案や宿題で、「分かりませんでした」と言って解答を書いてこない子を叱ることがあります。
「そんな訳ないだろ!何か書いてこい!!」
と言う訳です。
もちろん、相手の理解度を把握できていないとできない指導であることは明白です。
この
「分からなかった」
という事に対する態度が、学校と塾では大きく違うように感じています。
もし、学校の定期試験で「分からなかった」からと言って解答用紙に解答を書かなくても叱られることは少ないかもしれません。
「分からないのだから、書きようがない」
という訳です。
でも塾は違うんです。
なぜなら、塾は「学力を上げるため」の場所です。
お金を払って、その時間、その場所で頑張るんです。
「分からないなら、分からないなり」に書くという「義務」があります。
なぜなら、間違えたり、恥をかいたりする先に、成長があるからです。
「分からない」
といって、いつまでも何も書かないと、成長はありません。
傷つかず、恥かかず。。。。
成績だけを上げる。
というのは、原則としてあり得ません。
塾はその本質上、「できないなら、恥をかけ!」「未熟なら間違えろ!」そういう事をお子さんに強要する場所です。
「分からないんだから、仕方がない」
と言っている間に、時間は刻々と過ぎていきます。
それを、「仕方がない」と済ますのか、いまこの瞬間に行動を起こすのか。
その違いが、「全て」を決めます。
「大きな違い」
ではありません。
違いの「全て」
なんです。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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