知識のカタチ

つばめ学院の関口です。

 

今日でつばめ学院の夏期講習も最終日を迎えます。

 

今年も非常に多くの子が良い意味で「勉強漬け」になった講習だったと思います。

 

 

そんな夏期講習最終日は「そんなに勉強してどーすんの?」というお話を書きます。

 

 

 

今は私が中高生だった時とは違います。

 

なんといってもインターネットがありますよね。

 

「Google先生」に聞けば、何でも教えてくれる世の中になりました。

 

単純な知識量だけであれば、インターネットの世界でいくらでもその「解説」を見つける事ができます。

 

 

ちょっと教室のやりとりからお話を持って来ようかと思います。

 

 

「さて、みんな。どんな端末でも良いんだけど、コンピューターのゲームやった事がないって人はいないよね」

 

おそらく世の中には、「ゲーム」を知らないまま一生を終える人だってたくさんいるはずです。

 

そういう人と「ゲーム経験者」は何が違うのか?

 

知っている「世界」が違うという事だと思います。

 

コンピューターゲームを知らない人に、その面白さを「知らせる事」はできないですよね。

 

別の言い方をするならば、炭酸飲料を知らない人に「コーラの味」を説明することはできません。

 

 

中高生が学んでいる「勉強」もそれと同じ事だと思っています。

 

 

「世界が変わる」

 

それが勉強の持つ力です。学問の力と言っても良いかもしれません。

 

 

同じように

 

雨を見ても

 

夕日を見ても

 

スポーツを見ても

 

漫画を呼んでも

 

小説を読んでも

 

ニュースを見ても

 

 

きっと捉え方が全く変わります。

 

「住んでいる世界」が違うからです。

 

おそらく、その意味で「住んでいる世界」が違うのは、人の数だけ「違う世界」があるのだろうと思います。

 

それでも、勉強をしている人としていない人の「世界」の隔たりは非常に大きいはずです。

 

 

 

冒頭のインターネットの話に戻します。

 

「インターネットで検索できるから、知識を頭に入れておく必要がない」

 

というのは間違いです。

 

むしろ、「知識にレバレッジ(てこ)をかけるのがインターネット」なんです。

 

だからこそ、知識は重要です。

 

 

 

「モナ・リザ」を描いた人の名を忘れても、インターネットですぐに調べられます。

 

でも、

 

「モナ・リザ」も「レオナルド・ダ・ビンチ」も知らない人は、調べようもないんです。

 

つまり、その人の「世界」にはどちらも存在しないもの。になります。

 

知識がないの「世界」は非常に狭く、レバレッジも効きません。

 

だから、インターネットがあっても、お天気と芸能ニュースとYouTubeしか使いみちがありません。

 

 

しかし、知識がある人には強烈なレバレッジがかかるのが「インターネット」です。

 

どんどん、知識を蓄えて、強烈なレバレッジで世の中をブンブン振り回すような人物がたくさん育ってくれることを期待しています。

 

 

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。