我が子に「期待する」という意味

つばめ学院の関口です。

 

少し以前から考えていた事なのですが、今日はその話し書こうと思います。

 

いきなり質問です。

 

「お子さんの事を信頼していますか?」

 

「もし、しているとするとその信頼は必要ですか?」

 

 

ちょっと厳しい質問ですよね。

 

でも、痛切に感じる時があるんです。

 

 

親が子を「信頼する」という事は全てにおいて必要なのでしょうか。

 

 

いったん、勉強に話しを持って行きます。

 

入塾面談で「この子には、いつも裏切られてばかり」というお話を聞くことがあります。

 

お子さんの将来や可能性に「期待」したり、その人間性を「信頼」したりは大いにして頂きたいですし、実際に多くのご家庭がそうだと思います。

 

しかし、こと「勉強」に対してはどうでしょうか。

 

信頼することが、お子さんのハードルを上げることがあることを知って頂きたいんです。

 

これも入塾間もない生徒に多いですが、成績が低迷しているという相談を頂いて、その生徒が塾にスマホやタブレットを持ってくる事もあります。

 

一概に「スマホ」や「タブレット」がダメだと言う気はないんです。

 

ただ、そのことで「勉強に向かうハードルが高くなる」ことは確実ですよね。

 

ご相談をすると、「本人が大丈夫だと言うので、そこは信頼しています」というお応えを頂きます。

 

何人かの生徒のご家庭に対しては

 

「いや、それで勉強に気持ちが向かない状態ですから。取り上げることが大人としての優しさだと思います。」

 

とお話をして、没収してもらう事もあります。

 

 

塾に通う生徒というのは、まだまだ未熟です。

 

どうしても

 

ラクな方に流れたい

 

簡単な「面白い」に浸っていたい

 

都合の悪いことは誤魔化してしまいたい

 

そういう気持ちにかられてしまう事があります。

 

私はそのこと自体が「悪い事」だとは思わないし、むしろ自然だと思います。

 

そして、そういう子に、

 

「そんな事では、厳しい社会では通用しないんだよ」

 

と説得する事の方が不自然な気がしています。

 

そういう話しを「理解できる」と「信じて」しまう事の方に無理があると思っています。

 

 

なぜなら、子供達はそんな「厳しい社会を知らないから」です。

 

 

そこに「過大な信頼」を寄せるよりも、もっと具体的な方策の方がその子のためになるのではないかと思います。

 

 

「ラクばかりはできない仕組み」

 

「簡単な「面白い」以外にも接点をもたせる」

 

「誤魔化しが発覚したら、きっちり叱る」

 

 

そうやって、お子さんの「未熟さ」を受け止めながら、その将来と人間性にこそ「信頼」を置くべきだと思っています。

 

 

全面的に信じる

 

全面的に信じない

 

 

どちらも違います。

 

我が子の「どこは信用できて、どこは信用できないか」

 

それを正確に見定める事は、親として決して悪い事ではないはずです。

 

是非とも、そういう「したたかさ」のようなものを大人にも身に付けて頂きたいと思っています。

 

 

 

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。