つばめ学院の関口です。
「勉強をやりたくない子」はどこにでもいます。
そして、「やりたくない子」にやらせる必要があるのか、という議論も常にあります。
そして、結論。
やらなくて良いです。
やらなくで大丈夫です。
本当にそう思います。
勉強なんて「しなくてはいけないもの」ではないんです。
だから、
やりたくない
必要ない
と思っている子は、やる必要もないし、やらなくて良いんです。
それでもたぶん生きていけますから。
もちろん、偏差値の高い高校や大学には進学できません。
大きな会社に就職する事や、高い技術を要する仕事には就けないでしょう。
でも、たぶん死なないんです。生きていけます。
かなりの確率で所得は低いと思います。
それでも大丈夫。いざとなれば、生活保護という手段もありますし、借金が膨らんだ場合には自己破産という制度もあります。
だから、勉強なんて「したくない」ならしなくて良い。
というより、
「勉強したい子は、しても良い」
これが、大前提なんです。いくら「大学全入時代にそぐわない」と言われても、前提は崩れません。
ちなみに、「大学に入る」ことと、「勉強する」ことは同じではありません。
勉強しなくても大学には入れますので。
話しを戻します。
勉強なんてしなくても、死ぬわけじゃない。と、分かったところで、安心して勉強は放棄してもらったら良いと思います。
これもかなりの確率で、、、「幸せな生活」を手にする事は難しいと思います。でも、死にません。ご安心下さい。
日本はそういう国です。
もう一つ加えます。
いま、勉強の必要性を感じて「必死に勉強をしている子」がつばめ学院にはたくさんいます。
この子達は、とても性格の良い子ばかり。
でも人間ですから、どうしても心のどこかで感じてしまうかもしれません。
「ライバルは少ないほうが嬉しい」と。
そう考えると、別の見方ができます。
もし、「勉強したくない子」がいたとして。
その子が勉強をしないという事は、いま「必死に勉強を頑張っている子」を幸せにするかもしれません。
素晴らしい事です。
「勉強しない」ということで、誰かを幸せにできるんです。
(自分は幸せになれない可能性が高まりますが・・・)
世の中をまっすぐ冷静に見ると、こういう面も見えてくるのだと感じます。
おもわず書かずにいられなくなってしまいました。
さて、最後に。
実は私はこの考えをそのまま子供達にぶつけることができるような「できた大人」ではない事を告白します。
だって、嫌だから。
目の前にいる子が不幸になるなんて。絶対に嫌だから。
塾生には「勉強をさせる」んです。
幸せになれないと分かっているものを、そのまま見過ごせるような「できた大人」ではないので、、、
勉強しないと、怒ります。
幸せになってくれないと、「私が嫌だから」という理由で。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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