つばめ学院の関口です。
先日、ある生徒が宿題をごまかしていました。
今日はその話を書こうと思います。
一見するとちゃんとやってあるように見えるのですが、そんなものでは私の目は誤魔化せません( ̄ー ̄)ニヤリ
まずは、しっかり「怒り」ます。
何か「良くない事が起きた時」に、生徒も先生もお互い「嫌な思い」をする事は大切だと思っています。
私も「嫌な思い」をします。
そして、説明。
「お前、これがバレなかった時にこそが本当にヤバイんだよ!」
「はい。。。。」
「これで誤魔化せたら、俺はお前ができたと思うだろ。お前を助けるチャンスを失うんだよ。分かれよ!そういう大事な事を」
「すいませんでした。。。。」
そこで、今日の本題です。
この「すいません」の裏に「許してもらおう」という意図を感じたときには、そこを修正します。
「さっきから何度も謝ってるけど、何に対して謝ってんの?」
「いや、宿題を・・・」
「別に宿題を誤魔化しても俺が謝られる筋はないと思うよ。俺の事を嘘で誤魔化そうとした事は、さっき謝ってもらったからもういいよ。」
「はい!ホントにすいませんでした!!」
「こら。こらこら。お前、何か勘違いしてないか?何か終わった気分になってない?いまお前が失ったのは、信頼なんだよ。」
「え?でも、先生さっきもう良いって・・・」
「もう謝らなくていい。ってことね。謝ったって失った信頼は戻らないだろ。」
「・・・・」
「謝らなくて良いから聞けよ。で、理解しろよ。お前がこれからやるのは、信頼を取り戻すための「具体的な行動」を積み重ねること。それ以外に人の信頼を回復する術はないんだよ。謝ったって、自分のしたことがさっぱり無くなるわけじゃない。だから大変なんだ。」
ここでこの子が意識するべきは、将来において「あいつはあの時から変わったな」と言われる「あの時」を今にするという決意と、その後の行動なんです。
「ごめんなさい」「分かった、今回は許すよ」
こういうやりとりをやる限り、絶対に生徒は成長しません。
その態度を「冷たい」と評価する人もいるかもしれませんが、私はそう思わないというだけです。
だって、「許した」ら・・・
その子は次に人に迷惑をかけた時に、また「許して」もらおうとします。
でも社会に出たら「許す」なんてないんです。あるのは「信頼回復」のための行動の積み重ねだけです。
その事を知らずに社会に出ることの方が、はるかに恐ろしいことなのではないかと思うんです。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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