若いうちの苦労は・・・

つばめ学院の関口です。

 

折に触れて授業でお話をする事の中に「若い時の苦労は買ってでもせよ」という話があります。

 

まあ、確かに古臭い話ではありますけど・・・

 

大前提として大切な事ですが、

 

「勉強しなければいけない」

 

なんて事は全くない。という事。

 

「勉強しても良い」

 

が正解ですね。

 

この認識がずれていると誰もが不幸になります。

 

「勉強する」という事は日本人に生まれた「特権」だと私は思っています。

 

だから、「嫌だ」というなら、その特権を捨てれば良いだけの話なんです。

 

全力で「勉強したくない」という子は「しない」という選択をする事が可能なんです。

 

その空いた時間で好きな事をすれば良い。

 

そこに「罪悪感」はいらないんです。強いて言うならば「覚悟」があれば良いだけ。

 

 

教室の話に戻ります。

 

よく言うのは、「勉強で苦労しない奴は、その代わりに他で苦労するだけのこと」と話します。

 

これも脅しではなく、単純な事実です。

 

「勉強での苦労」よりも「仕事での苦労」や「生活での苦労」の方がやりやすいなら、そうすれば良いだけの事なんですね。

 

好みの問題です。

 

あとは一般論的なお話を追加するだけ。

 

「若いうち」の「勉強」の苦労の方が、将来的には大きなレバレッジが効きます。多くの場合。

 

 

もう一つの大切な論点は、

 

年齢を問わず、「子供」は「若いうちの苦労」を理解できない。

 

という点です。

 

だから、「言わない」ではお子さんが「子供」のまま年を重ねてしまいます。

 

分かるか、分からないかは関係なく言う。

 

そういうお話が、教育の現場では一定量あって良いと考えています。

 

分かることばっかり言っていても、その子の成長にはつながりません。

 

「あぁ、あれって、こういう事だったのね」

 

と後になって分かる。そういう経験の種まきをしない教育現場に教育的な価値はありません。

 

だからこそ、つばめ学院は毎日せっせと、地味な種まきをするんです。

 

 

「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と。

 

 

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。