つばめ学院の関口です。
今日の小話は、「文学と文芸について」を小中学生向けにお話をしました。
いきなり、なんでこんな事を書くのか?ですよね。
先週、図らずも人生初の入院生活を送ることになってしまい、その間はやたらと読書をしました。
その中で、1つ考えを変えた事があるんです。
今日のブログで書きたいのは、その事についてです。
「塾の先生」という仕事の性質上、1つの観念に囚われすぎていたように思うんです。
それが、
「生徒の分かるように話す。分かる事を話す。」
という観念です。
確かに、学習塾の機能としては、生徒の「分かった!」を生み出すことが求められます。
でも、です。
おそらく多くのご家庭では共感して頂けると思うのですが、「分かった!」の前段が弱い子も少なくないんです。
つまり「分かりたい!」という感覚です。
分かりたい
や
分かったら格好いい
という感覚。まずは、この感覚がないと、「分かった!」に向かうエネルギーがでません。
生徒の「分かりたい」が弱い状態で、「分かった」を経験してもらうためには、対象のレベルを下げていくしかないんです。
そして、下げた対象をさらに噛み砕いて、なんとか「分かった」にたどり着く。。。
でも、そこに感動はありません。
学びの縮小均衡です。
その縮小均衡を打ち破る方法の1つが、「全く理解できないものをぶつける」という事です。
小学生や中学生が聞いて、
「全く分からない」
と感じる話を全力で話す。
楽しそうに話す。
(実際、楽しいのですが)
この先に感じてほしい事があるんです。
「先生が何言ってんのか、さっぱり分からんけど、なんかキラキラしてる感じがする」
という感覚です。
おそらく、このキラキラ感覚こそが、子供達の「知」をドライブする源なのではないでしょうか。
「生徒が全員、分かるように」
塾の人間として、そればかりを意識してきました。
でも、それだけでは「面白く」ないんです。
「いいかぁ!お前ら。今から、お前らの分からん話をするぞぉ!でも、これは分かったらスゲー面白いし、俺はその面白さが分かってるんだ。この面白さは、望めば誰でも分かるから、みんな興味もったら付いて来いよ」
そういうメッセージが一定量ある教室というのは、たまらなく魅力的な「知」に溢れていると思いませんか?
生徒・保護者の方にご好評頂いている、授業前の「小話」ですが、今後は「分からない話」も一定量はまぜていきたいと思います。
それが、好奇心の塊である小中学生の「分かりたい!」を強烈にドライブしてくれると確信しています。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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