つばめ学院の関口です。
今日は1つ記事をご紹介します。
こういう記事にはきっちり反論しておきたいと思うんですね。
「実態を知る」という人が、いい加減な情報を流す事で不安な保護者の方に間違った(偏った?)情報がいくのは本当に避けたいんです。
まず疑問なのは、この「松永暢史先生」は本当に、「塾なんて行かせるくらいなら、ケイドロで遊ばせていた方がマシ」と考えているのかです。
本当に、本気で信じる人が出たらどうするのでしょうか。
学校の勉強だけさせて、「塾なんて無駄だ」と考えていて、子供にケイドロさせる。そんな方がいたら、いったいどんな反応をするのでしょうか?
非常に無責任な記事だなと思います。
では、しっかりと各論について反論したいと思いいます。
1.詰め込み教育が否定されたから塾は苦しんでいる。
そんなわけないですよ。
詰め込み「だけ」では社会で通用しない事は、まともな塾人なら当然分かっています。
そして、更に。
「活用、活用と騒ぐけど、そもそもの知識がないと活用すらできないんだよ。」
というしごく真っ当なアドバイスができます。
2.「偏差値」は塾・予備校にとって切り札といえる営業ツール
いや、、、一体、どこの塾を見てきたのでしょうか?
私もたくさんの塾を知っているわけではなので偉そうには言いません。
でも、つばめ学院が「偏差値」を営業に使ったことはないし、そんなものを使わなくても生徒が増えるようにはなっています。
偏差値が「営業ツール」だなんて考えた事もないです。
生徒の努力を客観的に示す、1つの指標です。
3.教室の中だけでは発想力や想像力は伸びない
この意見こそが、想像力の欠如です。
そもそも、発想力や想像力が伸びない理由を考えるべきでしょう。
私の結論は簡単です。
それまで、使ってこなかったから。
そして、聞かれてこなかったから。です。
「あなたはどう思う?」とう問いかけがなかったからです。
(斜体は引用)
そもそも、「あなたはどう思うか」に答えられるようにする指導は、いったい塾の教室の指導ではどうして可能なのでしょうか。明らかにこれは「技術」ではなく、体験を基にした判断が欠かせません。
「知識ではなく、体験だ」の典型ですね。
「体験」がなければ「どう思うか」に答えられない?
そんなわけないんです。
例を出しましょう。
「なぜ戦争がなくならないのか?」
これについて「どう思う?」と問いかけます。
必要な事は体験ですか?
生徒を戦場に向かわせる?
原爆資料館に見学に行かせる?
戦争体験者の話を聞かせる?
なんでも良いですが、そういう「体験」が「どう思うか?」の必須条件ではないという事が重要です。
そうでなければ、「戦争に行ったこともない奴が戦争を語るな」と言われて終わりです。
しっかりと文献を読み、戦争が起きる背景を知り、戦争に至るプロセスを理解する。
そして、それこそ、時々の意思決定をした人々は「どう考えたのか?」に想像を働かせる。
そういう行為が不可欠だと考えています。
そのために、これまでの歴史を学び、またやや難解な論説文や資料を読むトレーニングをする事は非常に有益なはずです。
塾の座学を「知識の詰め込み」と決めつけ、ケイドロやらせる方がまし。と、情報の少ない不安な保護者に対して言い放つ姿勢に悪意を感じざるを得ません。
最後になりますが、つばめ学院が保護者の方にお伝えしている事を書いて終わります。
私は自分自信が、新制度の細かいニュースをチェックしていたとしても、保護者の方に不確定な段階でお伝えすることはありません。
お伝えするのは、
「制度がお子さんの後からついてきますよ」というメッセージです。
当たり前の事です。
これからの社会で必要となる人財像というものは、多くの人の間で共有されている気がします。
・自らの頭で考える事ができる
・考えた事をリスクを恐れず実行できる
・不確定な世の中の変動に、柔軟に対応できる
そういうイメージは、どなたも明確にあるはずです。
だから、塾は「そういう人財」になるために必要な事を考えて、生徒にご提供します。
なぜ受験制度が変わるのか?
「そういう人財」になりうる子を正当に評価できていないからです。
つまり、あるべき姿にお子さんが成長するならば、制度は「そういう子が評価されるように」考えて変わっていきます。
つばめ学院がご提供する空間は、そういう学びの空間なんです。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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