つばめ学院の関口です。
今日は小学生について書こうと思います。
小学生のおお子さんをもつご家庭に是非読んで頂きたい内容です。
先日、ある記事に対しSNSでコメントしたところ非常に多くの反響を頂きました。
記事の内容は、
「小2の子供が、学校の宿題に解答したところ”掛け算はまだ習っていない”という理由で、掛け算で書いた解答を不正解にされた」
というものでした。
リンクは貼りませんが、興味のある方はGoogleで検索してみて下さい。
上記のケースはなんとも情けない話だとは思いますが、やはり「レアケース」と言って良いと思います。
世の小学校の先生の多くは、こんな事にこだわるような器の小さい先生ではないはずです。
今日のブログで是非とも提起したい問題というのは、ちょっと違うんです。
多くの、志ある先生のいる小学校で起こりうる話。
そして、
多くの「普通の子」に起こりうる話。
そういうお話を書こうと思います。
「小学校では余裕だった勉強が、中学校に入っていきなりわけわからなくなる」
というお話についてです。
数年前のある生徒の呟きと私の会話です。
「どうした?随分とくたびれた顔してんじゃねーかよ」
「うん。。。疲れた。。。。学校の算数、もうイヤだ」
「あらま。そりゃ大変だな。○○(その子の名前)は、塾で算数やってるし、どんどん前に進んでるから、学校の算数なんて余裕だと思うけど、違うのか?」
「内容は余裕。でも、授業がイヤ。」
「学校の先生が嫌いなの?」
「そうじゃないよ。でも、算数のドリルの繰り返しで、もう2周目が終わるんだよ。」
「まあ、、、、復習も大切だからねぇ(汗)でも、その2周目が終わったら、次の単元に進むんじゃねーの?」
「それはない!2周目が終わったら、3周目やれって言われるよ。次の単元は3学期の内容だから、3学期になるまで先には行かないって、先生言ってたもん。」
実際に、この子は3周目に入り、次の単元に入るのは予定通り3学期になってからでした。
正直、「これが終わっても、どうせまたもう一回」と言われることが分かってしまっているというのは、非常に辛いものがあります。
なぜこのような事が起こるのか考えてみたいと思います。
事実として、小学校の授業スピードというのは非常に遅いです。
多くの子が「遅い」感じるレベルです。
これは、「先生が悪い」のでしょうか?
私はそうは思っていないんです。
少し想像してみて下さい。
ご自分が「小学校の先生」だとして。
担当の学級が30人の学級だとしましょう。
この30人に学習の理解度の早い順に番号をつけたとします。
さて、「小学校の先生」であるあなたは「何番目」の生徒に合わせて授業をしますか?
真ん中の15番目の生徒でしょうか?
まさか、違いますよね?
小学校で「真ん中」なんかに合わせた授業進度をとってしまったら。。。
小学校の受業で、クラスの半分がついてこられないスピードという事になります。
心ある先生は、そういう受業はしないはずです。
私が自分自身を「小学校の先生」に置き換えて考えてみても、やはり28番目の生徒を想定して授業すると思います。
小学校で「落ちこぼれ」なんて出したくないじゃないですか。
クラスで2人くらいであれば、仮に進度に合わなくても、補習その他でケアできると思います。
逆に一番理解が遅い子に合わせて、クラス全体を動かすのも問題のような気がします。
28番目くらいでしょうか。
当然のことながら、20人以上の生徒が「遅い」と感じます。
それでも、やはり「小学校の先生」としての「私」は、落ちこぼれる子を出したくはないです。
ここで問題があるんです。
20番目の子に注目しましょう。
小学校の授業は「28番目」に合わせて授業をします。20番目の子は余裕。
でも、中学に入った途端に「15番目」に合わせて授業が始まります。
(場合によってはそれ以上です)
20番目の子は戸惑います。
だって、小学校までは「余裕」だった授業が、突然に「付いていけない」授業になるんですから。
つばめ学院の小学算数で、バンバン飛び級をさせるのは、ここに理由があります。
分かっていますから。
中学に入ってから大変になることが。
だからこそ、余裕のある小学校のうちに、とっとと前に進めて、すぐに中学数学に入った方が良い。
そこで、しっかり時間を使って定着させればいいじゃなですか。
個々人が自分のペースで進める限りにおいて、理解度の順位なんて関係ないです。
「飛び級」=「優秀な子」
という概念は古いんです。
むしろ、「普通の子」にこそ、「飛び級」が必要なんです。
もしお子さんを「普通の子」だと思っていて、「学校の授業はラクショー」とお子さんが言うのであれば。
是非、この可能性を疑ってみて下さい。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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