その先にある「価値」

つばめ学院の関口です。

 

今日は「なぜ勉強するのか?」について書いていこうと思います。

 

いろいろな答えがあると思いますし、聞かれた文脈によっても違うかもしれないですね。

 

突然、お子さんから質問された時の対策の1つとしてお役立て下さい^^

 

 

なぜ勉強するのか?

 

の答えですが、「自分の知らない価値に出会い、より幸せになるため」だと私は考えています。

 

 

ちょっと、抽象的ですよね。

 

細かく説明をしていきますね。

 

 

世の中には、「やってみるまで価値の分からない」という事が多くあります。

 

何気なく暮らしていると、そういう「価値のわからない」ものとの出会いを見落としがちです。

 

 

例えば、コンビニの買い物。

 

何を買うにしても、

 

「これで200円は安い」

 

「1000円は高いだろう」

 

そういった価値判断がつきます。

 

 

金銭的価値にだけではなく、時間的価値もまた同じです。

 

「ピアノで簡単な曲が弾けるようになるのに1年」

 

に対して長い、短いという判断はつくはずなんです。

 

 

ところで、勉強。です。

 

そういう価値判断がつかない領域のものだと思うのです。

 

「数式が読めること」

 

「文字から情報を読み取れること」

 

「歴史を知っていること」

 

それらの価値は「できた後」でしか認知できません。

 

「できる前」にその価値を知ることは原理的にできないのです。

 

 

そして、なにより「そういう価値の在り方があるのだ」という事を知ることが勉強の価値だと思います。

 

勉強の価値は、それを知ったとしてもその価値は分からないかもしれない。

 

10年後に「価値」があることに気づくことも珍しくありません。

 

 

もし、お子さんが「なぜ勉強なんてしないといけないのか?」と言ってきたときに。

 

そういう、「価値が事前に認識できないもの」と対峙しているのだとお伝え頂く。

 

そういう新しい価値の軸を教えてあげて頂きたいと思います。

 

 

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。