いのちの時間

つばめ学院の関口です。

 

塾で使う「時間」について書こうと思います。

 

 

私は「命の時間」という言葉(考え方)が好きです。

 

小中学生や高校生は、その若さゆえに「時間」の価値を意識しないかもしれません。

 

それでも塾生の「命の時間」は有限です。

 

その貴重な「命の時間」の一部を塾に使ってもらっている事には間違いはないですよね。

 

 

そして、その使いみちです。

 

私はできるだけ「説明の時間」を減らしたいと考えています。

 

誤解をまねくかもしれませんが、塾における「説明の時間」には価値はありません。

 

少なくとも、私はそう考えています。

 

 

塾に期待されている事は「生徒の学力をあげる」という事です。

 

そして「学力が上がる」のは、「説明を聞いている時間」ではありません。

 

「自らが問題に向かい、頭をフル回転させている時間」のはずです。

 

その意味で、塾では最低限の説明で最大の効果をあげて欲しいと考えています。

 

 

矛盾するように聞こえるかもしれませんが。。。

 

塾での「小話」は逆に、かならず時間をとります。

 

「説明の時間」を限界まで削ぎ落とし、「小話」の時間をなんとかして確保します。

 

理由は簡単です。

 

「小話」にはテキストにない価値があると思っているからです。

 

それは、いまの勉強が何につながるのか?それを考えるヒントを詰め込んでいます。

 

学習の説明は極論すれば、テキストに書いてあることばかりです。

 

自分で読んで理解できるなら、その方が早いわけです。

 

とはいえ、全て「テキスト読んでね」では、なかなか勉強も進みません。

 

だからこそ、最低限の説明が必要です。

 

でも、不要ならそれに越したことはない。というのが学習の説明です。

 

 

「説明の時間」は短く、「小話」の時間はしっかり。

 

 

それが、つばめ学院が頂いている、生徒の「命の時間」の使いみちです。

 

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。