つばめ学院の関口です。
私は学習塾で勉強を教えているので、当然ながら「勉強のありがたさ」を感じている1人です。
今日はその「ありがたさ」の感じ方について書こうと思います。
ものすごく細かい事のようですが、、、ある意味では本質的なこ事を書きますのでお付き合い下さい。
「勉強しておいて良かった」
という感覚をどう感じるか。
これは、
「あぁ!良かったぁ〜!!」と感じることは、ほとんどないと思っています。
そうではなく、
「うぉ!あぶねぇ!」という感じ方です。
はい。分かりにくいですよね。。。
順を追って書いていきますね。
例えとして分かりやすいので、このブログを例にとります。
このブログは「塾の経営者」としての私を救ってくれる大きな武器です。
なぜなら、このブログを見つけてお問い合わせを下さる方がいます。
そういう方は、和光市内だけではなく、お隣の駅や場合によっては数駅離れた所から連絡をくれます。
つばめ学院のチラシは和光市内にしか折り込んでいない(予算の都合上)ので、ブログがなければ当塾の事を他の駅の方が知ることはありません。
また、ブログを読んで下さる保護者の方は、教育方針その他にご理解を頂いている方も多いですから、口コミをして頂きやすいのです。
ここまでで、ブログが私にとっての「商売の道具」として機能している事はご理解いただけたかと思います。
さて、次です。
なぜ私がブログを書けるのか。という能力面でのお話をします。
メンタル面のお話は、別の機会に譲ります。
能力として「書ける」の前提は、当然ながら「読める」にあります。
日頃から、まわりの記事やブログを読むことができています。
読んでいれば、「こう書けば良い、こういう事を書けば良い」は分かります。
読めなければ、分かりません。
でも、実際の世の中を見渡してみても、文字から日常的に有用な情報を引き出せる人というのは限定されています。
テレビと音楽ばかりという大人も世にはいますので。。。
そんな時に私は「あぶねぇ!」と思うのです。
私自身が、「勉強が大好き」という子供ではなかったからです。
ともすれば、ゲームとテレビばかりで「文字情報」とは無縁の人生を歩んでいた可能性は高いのです。
そんな私が「文字情報」をしっかり受け取れるようになったのは、間違いなく「勉強」のおかげです。
好きでもない「勉強」」をしてきたおかげです。
「良かったぁ!」ではなく、「あぶねぇ!」です。
ゲームとテレビばかり見て大人になった「私」であれば、ブログなんて絶対に書けなかったと思います。
というより、思いつきもしなかったでしょう。
そういう事を思う度に「安堵」よりも「恐怖」が先にでるのです。
昔の「勉強」のおかげで、今の自分が「生かされている」と感じます。
そして今日も教室では、その「昔の勉強」をいまの生徒に伝えます。
それが、10年後の生徒の人生にいきていくのであれば本望です。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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