つばめ学院の関口です。
今日はクリスマス!
と、同時に冬期講習の開始前日。
午前中から教室にこもりきりでの準備を進めております。
今日はSNSの投稿を見て、非常に興味深い記事に出くわしました。
記事の着眼点としては、「人がAIに代替される」という最近では珍しくない論点です。
そして、教育の分野でもAIに代替されるものが出てくる。というものです。
興味深かったのは、記事の中でAIに代替されない「人間にしかできない仕事」について考察されている点です。
率直な感想として、この記事も含めて「AIに代替されない教育現場での教員の使命」を端的に語るものに出会ったことがない気がしています。
私の答えはシンプルです。
「感じる事」と「示す事」
「人間としての使命」はこの2点にあると思っています。
AIはすでに存在する知識に対して検索をかけ、その結果を一定のアルゴリズムで処理します。
AIに出来る事は「過去」を処理する事です。
仮に現在や未来を予測できたとしても、それは「過去」に基づいた分析です。
AIは「いま」を「感じる」ことができません。
いま来た生徒の表情に関心を寄せることはできません。
表情を分析することはできるかもしれない。ロボットがその子の表情や声のトーンから健康状態を推し量ることはできるでしょう。
でも、「○○君が元気かどうか」に関心を寄せることはできないですよね。
でも、人にとっては、それが一番大切です。
元気なのか、楽しんでいるのか、悩みはないのか、そういう「いま」を「感じる」ことです。
その先で、生徒とともに「喜び」「悲しみ」「笑い」もちろん、ときに「怒り」。
そういう感情を共有する事ができます。これが人間の最大の強みなんだと思います。
さらに言えば、そういう事をやりたい「人間」こそが教育の現場にいるはずですし。
さらに
AIは「みらい」を「示す」ことができません。
毎日楽しそうにしている大人
得た知識に考察を加え、鋭い洞察をする大人
自分の価値観を大切にし、確たる芯のある大人
そういう大人であることを通じて、生徒に「こうなれたら良いな」という「みらい」を「示す」ことができるのは人間だけです。
小中高生が自分の将来をロボットやAIに重ねて憧れる事なんて、100%あり得ませんから。
だからこそ、教育現場の大人は子供達にとっての理想を「示す」役割があるのだと思っています。
AIが担う事ができるのは「過去」
教育現場の人間は、生徒の「いま」と「みらい」を導くのではないかと考えています。
AIが教育現場に入り込むことは大いに歓迎すべき事であって、警戒する類の事ではないはずです。
なぜなら、「知識の伝達」という作業をAIに任せて、人間が人間にしなければいけない「本来の教育」にエネルギーを投入できるようになるからです。
さらに言えば、「知識の伝達」を自分の仕事だと勘違いし、特に知識的な優位性を生徒に示して自分の力を誇示したい。そんな志の低い教育人が淘汰される事も歓迎すべき事だと思っています。
これからも、生徒の「いま」と「みらい」に大きな関心を寄せていきたいと思います。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
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