努力することの価値

つばめ学院の関口です。

 

今日は「努力することの価値」について書いてみようと思います。

 

 

冬期講習期間に「諦める力」という本を読みました。

 

 

 

 

この本で為末大さんが言われている事の1つが

 

自分には

 

・努力すれば結果の出やすい事

・努力しても結果の出にくい事

 

がある。という事です。

非常に鋭い指摘だなと感じます。

 

さて、、、

 

この指摘を勉強に置き換えてみようと思います。

 

小中高生にとって、「勉強は結果の出やすい事」なのかどうかを見極める。

 

という話になるでしょうか?

 

 

私は少し違うのではないかと思っています。

 

 

見極めをするためには基準が必要です。

 

誰だって、何だって、、、、

 

大した努力もせずに結果が出る、なんてことはありません。

 

「見極めるために努力する」

 

という事が非常に大切なのではないでしょうか。

 

その「見極めのための初期投資」として、どれくらいの努力量を投入できるのか。

 

そういう基準作り、が小中高生にとっての「勉強」がもつ側面だと思います。

 

 

逆の事を想定すると分かりやすいかもしれません。

 

「こうなってはいけない大人」とは何でしょうか。

 

 

大した努力もしていないくせに、「自分に向いている、向いていない」と判断してしまう大人

 

ちょっと努力しただけで、その労力を課題評価して「向いていない」という判断がズルズル遅れる大人

 

そもそも努力できない大人

 

 

このような、生きた年数が多いというだけの「大人」にはなって欲しくないのです。

 

 

その意味では、若いうちに「無条件で努力する」という事は非常に重要なのだと思います。

 

無条件に努力をして、その成果を冷静に評価しておく。

 

その経験があれば、その後の人生においての「基準」ができるのではないでしょうか。

 

 

 

「営業なんて向いてないよ」

 

と言う前に、

 

「数学も最初は全く苦手だったけど、ある時を境に全ての理解が深まったよな」

 

という経験を持って欲しいと願っています。

 

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。