「秀才」になる方法

Vol.627

 

つばめ学院の関口です。

 

今日のお話は「遙か先にある(ように思える)もの」についてです。

 

はい。何のことか分からないですよね。。。

 

 

秀才の存在

 

どこにでも「秀才」と呼ばれる子はいるものです。

 

お子さんは「秀才」と呼ばれる方ですか?

 

それとも「秀才」を見上げる方ですか?

 

定期テストで毎回トップをとるような子のことを、まわりは「特別視」することが多いものです。

 

私も塾でいろいろな子と話をしているので、感覚的に理解できます。

 

まわりで特別視している子達は、「秀才と呼ばれる子」と自分を全く別の存在として捉えます。

 

 

秀才とは何か?

 

では、その秀才は他の子とそんなに違うのでしょうか?

 

もちろん違う部分はあると思います。

 

私が考える違いは以下の2点です。

 

・圧倒的な勉強量

 

・圧倒的な勉強効率

 

この2点において、他の子と大きな差をつけているからこそ、ダントツの成績をあげて「秀才」と見られれているはずです。

 

先にあげた2点の違いですが、これは先天的なものでしょうか?

 

もちろん違いますね。

 

では、どこで差がついたのか。それが気になるところです。

 

 

はじめの一歩

 

私が考える違いは、「はじめの一歩」を踏み出したか否か。

 

だと思っています。

 

なんの事はない、ちょっとした一歩を踏み出した子と、踏み出さない子。

 

この違いが大きな差を生んでいるように感じています。

 

例えば、

 

15分の隙間時間を使って、「ちょっと課題を進めておく」をできるか否か。

 

それが「一歩」です。

 

15分なんて時間は、やってもやらなくても同じ。と考える子は多いです。

 

しかし、15分を使った子は、30分の時間があれば必ず活用できます。

 

15分を使わなかった子は、30分が目の前にあっても、やはり「そんな少しじゃ。。。」と言います。

 

その積み重ねが大きな「時間」の差を生みます。

 

 

まとめノートの作り方が分からない、と言ってなにもしない子はそのままです。

 

分からないながらもノートを作る子は、一度作ればその後に改善を重ねる事ができます。

 

「書いても意味ない」と言って書かない子には何も起きません。

 

「書いてみた」子は、本当に書いた意味があったかどうかを検証できます。

 

その違いが「効率」の差を生みます。

 

 

いま、「自分」と「秀才」の間に大きな差があると感じているのであれば、その差は「はじめの一歩」の差です。

 

その「一歩」を踏み出した子と、踏み出していない子の違いです。

 

 

でもご安心下さい。

 

「一歩を踏み出した後」というのは幾何級数的に効果が出るものです。

 

たとえ今は「圧倒的な差」に見えても、それは錯覚なんです。

 

実態としてそれほど離れているわけではありません。

 

でもその幻影を打ち破るには、やはり「はじめの一歩」を踏み出す以外にないのです。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。