2018年1月29日
Vol.721
つばめ学院の関口です。
私は日頃、塾で子供達に「勉強」を教えています。
当然と言えば当然の事です。
この「勉強」ですが、その子にとって本当に大切になるのは、実は塾も学校も卒業した後の事なのかもしれません。
今日はそんなお話を書きます。
勉強は何の役にたつの?
「勉強は何の役にたつの?」
塾の先生にとっては、永遠のテーマですね。
このブログでも何度も取り上げた課題です。
発言のウラにある思いは、
「役に立たないなら、やりたくない。」
という思いでしょう。
ただ、それを言ってしまうと、勉強なんてほとんど全ては不要になります。
例えば、太陽。
別に太陽が地球のまわりを回っているんだと思って生きていても何一つ困らないわけです。
実際に太陽は「見かけ上は」地球のまわりを回っているように見えます。
地球も球体である必要もありません。自分の目で見たわけではないですし。
大切な事は。
そして、本当に面白い事は。
それらを知識として「知る」ことではなく、その先にある「分かる」という事ではないでしょうか。
「分かる」と「知る」には大きな違いがあります。
そして多くの場合、学校で連れていってもらえるのは「知る」の領域までです。
本当に分かっていますか?
「知っている」と「分かっている」の違いについて考えてみます。
「分かっている」という状態は、「人に説明できる」という事で確認できると私は考えています。
正しいか、そうでないかは別として、自分なりの説明を持っている状態です。
例えば、
「分数で割るって、どういう事?」
「ゼロから−3を引いて、どうして+3になるの?」
「地球が丸いって、どうやって分かるの?」
「”坊っちゃん”って、全然面白くないんだけど、何が言いたいの?」
「北朝鮮はなんで核開発し続けるの?」
いろんな事柄について、知識としては知っていることばかり。
でも、人に説明できる人は少ないのではないでしょうか。
(特に算数の領域は・・・)
細かい1つ1つに、自分なりの説明を持っている人。
そして、それを自由に出し入れできる人を我々は「教養のある人」と呼ぶのではないでしょうか。
まずは「知る」こと
生徒達には1つでも多くの「分かる」を体験してほしいと願っています。
ただ、その「分かる」に至るのは学生時代に限定する必要はないですよね。
人としての厚みを増すのに年齢は関係ないはずです。
大人になってから「分かる」でも良いです。
ただし、非常に大切なポイントがあります。
それは、
「知っている」状態を経なければ、「分かっている」状態にはならない。
という事です。
学生時代は、まず「知る」ことを優先してもらって良いと思います。
「知っていること」ならば、絶えず頭の中で出し入れが可能です。
成長するにつれ、経験を増やすにつれて、何かがひっかかるかもしれません。
私も社会に出て経験する中で、多くの「ひっかかり」を感じました。
「知らなければ、ひっかかる事もない」
これが本当に大切です。
人はその一生をかけて「分かる」を積み上げていけば良いと思います。
まずはその「分かる」をたくさん得るために、「知る」をたくさんこの場で得てもらえればと思います。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
春のチラシ作成に向けて、生徒達の勉強姿を写真にとっています。
最近は個人情報の取り扱いが厳しいこともあり、なかなかチラシに載ってくれる生徒がいないのが悩みです。。。
塾生で「我こそは!」という子がいたら、ぜひ塾長に一声かけて下さい!!