暗記は不要ですか?

2018年4月14日

Vol.736

 

つばめ学院の関口です。

 

インターネットの台頭により、我々の「情報」に対する考え方は大きく変化しました。

今日はその点について思うところを書いていこうかと思います。

 

 

あらゆる情報にアクセス可能

このブログで改めて書くまでもない事ですが。

インターネットの世界にはあらゆる情報が、いとも簡単にアクセス可能な状態で存在しています。

この事が「学び」に大きな影響を与えていることは間違いない事実です。

 

「調べれば済む」ような事は質問の対象にはなりません。

あまりに簡単に調べられるからです。

 

「シリアってどこにあるんだっけ?」

「地球と太陽はどのくらい離れてるの?」

「あれ?大化の改新って何年だっけ?」

 

そういうものは、もはや質問する事ではなく「調べる事」です。

先生だって人間である以上間違える可能性もゼロではありません。

キーワード検索で簡単に調べられるならその方が早くて正確です。

 

 

暗記の不要論

塾でもよく言います。

「お前の目の前にタブレット端末があるのに、なんでそんな簡単な事を調べる前に質問するんだよ」と。

いまの子達には、まず「自分ですぐに調べる」クセをつけて欲しいと思っています。

 

しかしです。

この状況は別の考えも生み出すことになります。

「暗記不要論」です。

すぐに調べて分かるなら、スマホをいつも持ち歩けば暗記なんて必要ないでしょ。

という考えです。

 

この考えにしっかりと反対をしておかないと、「学び」の意味も分からなくなるのではないでしょうか。

 

 

何のための「情報」か?

我々は別にテストのために「情報」を必要としているわけではありません。

 

「次の中からシリアの場所として正しいものを選びなさい」

という問題に答えるだけであれば、頭の中になくても全く問題はないしネットで調べれば良いだけです。

 

実際の生活では違いますよね。

我々は「情報」を組み合わせて、その中から「意味」を取り出すために「情報」を必要としています。

「情報」の組み合わせをするのは「頭の中」です。

「インターネットの向こう側」ではありません。

もともと「頭の中」にある情報が、新たな「情報」に触れた時に初めて「組み合わせ」という化学反応が「頭の中」で起こります。

 

日々の情報が頭に入ってくる度に、「化学反応がボコボコ起きる」ような頭を作っておくことこそが「学び」の原点だとうと思うのです。

 

頭の中に良質な知識を蓄えておくことの価値は本質的に今も昔も変わらないのではないでしょうか。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。