2018年5月15日
Vol.744
つばめ学院の関口です。
今日はいきなり自分の話からで恐縮です。
私は自分が住んでいる地域で塾を経営しております。
ありがたい事に、土日もなんだかんだとやることがあるので、教室にいる割合が多いのです。
そんな生活をずっとしておりますので、非常に大きな問題に直面しています。
それが、「運動不足」
いや、もう冗談じゃなく疲れやすくなってしまっておりました。
一念発起してこの4月から、これまた教室のとなりにあるスポーツジムに通い始めました。
今日はそのお話(?)を書こうかと思います。
自分の知らないい世界を知る
私は平日の午前中にジムに通うようになりました。
朝起きて支度をしてから、いきなりジムで運動です。
シャワーとサウナの後に着替えて、すぐに教室でお仕事開始。が、最近のリズムです。
さて、この生活。
もう私の今までの全てをひっくり返すくらいに衝撃的なんです。
「朝から思い切り運動する」という事がこんなにも気分がよくて、仕事にエネルギーを与えるとは思いませんでした。
さらに、
いままで怠けきっていた身体にも変化が見られてきます。
もう楽しくて仕方ないんです。
この経験を通じて、明らかに私は「自分の人生が豊かになった」と感じています。
豊かな人生を
しかし、なんでこんなプライベートな事を延々と書いているかと言えば、もちろん理由があります。
私が感動している「身体を鍛える」という行為は、ムダと言えばムダな事です。
仕事は「塾の先生」ですから、勉強を教えて、教材を整備して、事務やら広報やらをやれば良い。
別に身体を鍛えなくても立派な塾を作っておられる方は世にたくさんおられます。
「塾を仕事にして生きていく」と考えた時に、「ムダ」に見えるものが、人生を豊かにしてくれた。
そう感じているわけです。
ん?いや、そんな事ではなくて、、、
よくよく考えてみると、「人生を豊かにする事」というのは得てして「ムダ」なものばかりではないでしょうか?
是非ご自身のケースで考えて頂きたいのです。
自分は「これがあるから人生が豊かになった」と感じるもののほとんどは、「なくても死なないもの」ではないでしょうか。
いま、中高生と話をして感じることは、彼らが「ないと生きていけないもの」つまり「ムダではないもの」だけを欲しがる生き方を志向しているという事です。
「ムダのない生き方」というのは、じつはとてつもなく「貧しい生き方」なのではないでしょうか。
スポーツ、文学、歴史、ゲーム、映画、恋愛、結婚、友情、ごちそうetc…
どれもこれも、別に「なくても死なないもの」ばかりです。
でも、これらが我々の人生を豊かなものにしてくれる事は多くの方が賛同してくれる事実のはずです。
「それ何の役に立つの」を捨てよう
このような考え方に至ってから、塾で生徒にかける言葉も変わりました。
「勉強なんて何の役に立つの?」
という生徒に、勉強がいかに「世の役に立っているか」を説明することも1つの方法かもしれません。
しかし、その考え方自体を否定する事の大切さを今は感じています。
「何の役に立つのか?」を行動の基準にすれば、かならず生き方は貧しくなる。
なぜなら、生き方を豊かにしてくれるものは、いずれも「何の役にも立たないもの」だからです。
若者の「車離れ」が叫ばれて久しいです。
確かに、車を所有する事の費用対効果は薄れてきています。
その影響か、最近は冬のゲレンデに行っても大学生くらいの若者が非常に減っている印象を受けます。
大学生の講師に聞いても、冬にゲレンデにいく講師はほとんどいません。
「ゲレンデに行ったからなんなんだ」
と、行ったことのない人は言います。
しかし、その魅力を知った人は少しくらいの無理をしても行きます。
そこには心あらわれる景色があり、非日常の時間があることを知っているからでしょう。
当然ながら、スキーやスノボーは我々の生活にとって「何の役にも立ちません」。
「勉強は(私の人生にとって)何の役に立つのか」
を真面目に議論するよりも、そんな議論をする事こそが「豊かな人生」を阻害する行為のような気がしています。
お子さんはちゃんと「ムダなこと」をしていますか?
最後まで読んで頂いてありがとうございます。