2018年7月1日
Vol.757
つばめ学院の関口です。
しばらく間が空いてしまいました。。。すいません。
今日のブログは質問からスタートしたいと思います。
小学生のお子さんを持つ保護者の方に質問です。
「お子さんが原稿用紙を使う機会が減ったと思いませんか?」
いかがでしょう。
私も小学生の子を持つ親の1人として、そんな実感を持っています。
私が小学生の頃は、遠足・社会科見学・芸術鑑賞教室・修学旅行etc…
とにかく教室の外に出かける事があれば、なんでも「感想文」を書かされたような記憶があります。
いまの小学生に聞いていみると、確かに感想文の機会は減り、その一方で「発表」の機会が増えているようです。
世の変化を反映して、学校のカリキュラムも変わっているのかもしれません。
話せれば良いのか?
ここで1つ問題提起をしたいのです。
自分が感じた事を「話せれば良い」のでしょうか?
私はそうは思いません。
やはり自分の感じた事をしっかり文章で書けないといけないのではないか。
つばめ学院ではそのような危機意識もあり、小学生に「読書感想文」を書いてもらっています。
いまは「夏の読書感想文」に向けて、各生徒が読む本を選び、読書をスタートしています。
お話を戻します。
私は「書き言葉」と「話し言葉」は全く別物だとすら思っています。
口語と文語の違いです。
現代において口語と文語は同じだろう、と思う方もおられるかもしれませんが、私は違うと感じています。
特に小学生で、その違いを身に着けておくことが非常に重要です。
ここで架空の小学生を想定して、お話を書こうと思います。
ある小学生が私に話しかけます。
(是非、お子さんをあてはめて想像してみて下さい)
「ねえ、先生。昨日ね。学校に行ったらね、飼ってるメダカの元気がなくてね、担任の先生に言ったら「明日まで様子みよう」って言うからさぁ、待ったのね。で、今日いったら、もう死んでんの。朝、浮かんでた。水槽で。ちょー可愛そうだったよ、昨日、なんかしとけば良かった。マジで!」
こんな感じの会話ってありますよね。
私も良く聞いています。
この子に、その日の事を「感想文」に書いてもらうとします。
口語と文語が区別できていない場合は、以下のようになります。
「昨日、私は学校に行ったら、教室で飼っているメダカの元気がなかったので、担任の先生に言ったら、先生は「明日まで様子を見よう」と言いました。なので、今日まで待って学校にいくとメダカが浮いて死んでいたので、私は昨日なにかしておけば良かったと思いました。」
いかがでしょうか?
「書き言葉」になれていない子は、小学生でも中学生でも同じ傾向になります。
1つの文章が長くなる
という傾向です。
そして、主語と述語が不明確なので「文章を短くしよう」と言っても、どこで切れば良いのかが分からないのです。
書き直してみよう
先の文章を簡単に手直ししてみます。
「私の教室ではメダカを飼っています。私が昨日学校に行くと、そのメダカの元気がありませんでした。
私が担任の先生に相談をすると、先生は「明日まで様子を見てみよう」と言いました。
私も先生の意見に賛成だったので、昨日はそのまま家に帰りました。
今朝、学校の教室に入ると、水槽の中で死んでしまったメダカを見つけました。私はとても悲しい気持ちになりました。昨日のうちに何かできる事があったのではないかと思うと、本当に残念です。」
特に難しい言葉は使っていません。
1つ1つの文章を短く切って、つなげただけです。
それでも「書き言葉」として十分に「わかる」文章にはなったのではないでしょうか。
つばめ学院の読書感想文指導では、あまり細かい事までつっついたりはしません。
なるべく「自由に書いてもらいたい」と思っています。
ただ、その自由な表現のなかで、「気持ちが効果的に伝わる文章」を一緒に身に付けて欲しいと願っています。
「話している事を書くだけ」では、読みやすい文章にはなりません。
なぜなら、それは「口語」だからです。
「書き言葉」は「書く」ことでしか身に付きません。
お子さんは「口語」を書いていませんか?
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。