読書感想文がお子さんを「強く」する理由

2018年7月26日

Vol.761

 

つばめ学院の関口です。

 

夏休みが始まりました。

「夏休みの勉強」と言えば、真っ先に思いうかぶキーワードは「夏休みの宿題」ですよね。

そして、「夏休みの宿題」ですぐに思い浮かぶものといえば、、、

 

読書感想文があげられると思います。

先日も読書感想文に関してはブログて取り上げましたが、今日は違う角度から掘り下げてみようと思います。

 

 

読書感想文は難しい?

お子さんの学校では「読書感想文の宿題」は出ましたか?

 

つばめ学院では小学生を対象として、夏休み前から読書感想文に取り組んでもらっています。

もちろん、塾の先生が感想文の書き方をサポートしますし、学校の宿題として提出してもらっても構いません。

 

先日の夕方、夏期講習に来ている中学2年生から読書感想文についての相談を受けました。

 

「先生!読書感想文って、、、まったく書けないよ!本はもう読んだんだけどぉ」

「そっかぁ。いきなりは書けないから、まずメモから作ってみなよ。」

「めも?どうやって?」

「なんでも良いよ。どんな場面が好きとか、どんな人物が好きとか、または嫌いとか。」

「んー、、、ない!」

 

あまり考える事もせずに答えるので、一緒に考えてみました。

 

「いやいや、、、そう即答しなくても良いじゃない。じゃあ最初の質問ね。どんな場面が印象的だった?」

「えーっと、、、最後の方で狼に襲われて、みんなの過去を回想する場面」

「なるほど。なんでその場面が印象に残ったんだろうね?その場面で気になるエピソードはあった?」

「えー、わかんない。」

「良いよ。じゃあ、別の質問ね。登場人物で一番好きだと思ったのは誰?」

「スバル!」

「なんで?」

「お家の環境が大変でも明るく振る舞うから!」

「なるほど。今回はすぐに答えが出たね。じゃあなんで、そんなスバルを自分は好きだと思えたんだろうね?他の子だったら、他の登場人物を好きになるかもしれないよね。」

 

そんな会話をしながら、中学生に読書感想文のヒントを持って帰ってもらいました。

 

 

難しい理由は「言葉」になっていないから

この中学生のケースを例にあげて、「なぜ読書感想文は難しいのか?」を考えてみようと思います。

 

おそらく、その理由は「自分が何を考え、何を感じたのか」その事が本人にも分かっていないという事だと思います。

別の表現をすれば、「自分の内面と対話する」ことを全くしていないので「書けない」という事態になるのでしょう。

 

もしも、です。

自分がどの場面で何を考え、そして何を感じたのか。

そのことを明確に言葉に置き換えたメモが手元にあったとしたらどうでしょうか。

読書感想文なんて簡単ですよね?

ただ、文章にして書くだけの作業ですから。

 

「難しい」と感じる事は、「自分が何を感じたのかを言葉にする」という作業なのだと思います。

そして、その作業こそが大人になっても大切になる行為のはずです。

 

 

その感情が消えてなくなる

いきなり話を変えますが、、、

私が高校生の頃に読んだ本で、「翔太と猫のインサイトの夏休み」という本があります。

 

世の中に対して「斜に構えた態度」をしていた生意気な高校生だった私は、いわゆる「哲学的」と言われるようなお話にすごく関心があったんです。

 

その本は「インサイト」という猫が翔太少年に、次々と哲学的な諸問題を問いかけるという啓蒙書です。

 

その中で「インサイト」は翔太少年にこんなお話をしていました。

(古い記憶なので、原典とはずれるかもしれません。ご了承下さい。)

 

「いいかい、翔太くん。君には嫌いな人はいるかい?

その嫌いな人の、嫌いな行動を思い出してもらいたい。

そして、きっとその行動は君にとって理解できない行動なんだろう。

でもね。

その人は、生まれた時からそのような行動をする人なんだろうか?

違うよね。おそらく生まれてから、育つ過程でいろいろな経験をし、そしてその人の人格ができた。

その人格をもってして、ある場面では君にとって不愉快な行動をした、ということだろう。

つまり、どんな人間の行動の裏には必ず合理的な理由があり、そして。

君がその合理的な理由の全てを理解できたとしたならば、君がムカつくと感じたその感情は消えてなくなるんだよ。」

 

さて、この猫の「インサイト」のお話ですが。

論理的な考察は専門家に譲るとして、私の経験的な感覚としては「かなり正しい」と感じています。

大人であれば共感して頂ける方は多いと思います。

 

自分にとって「全く理解不能」なくらいに不愉快な人間と出会ったとします。

でも、その不愉快な感情は「理解不能」だからこそ不愉快なので、あって理解可能であれば不愉快ではなくなるはずなんです。

 

ドラマや物語でもよくある構図ですよね。

序盤では思い切り「悪役」だったキャラクターが、終盤にさしかかるとその過去を回想する。

すると、その過去を辿る過程で「なぜその悪役キャラができたのか」が理解可能な形で判明する。

そして不思議な事に、その「悪役」が少しだけ「いいヤツ」に見えてきてしまう。

 

そんな経験をした人は少なくないはずです。

 

 

「考える」ことはリアルに自分を助ける

今日のブログでお伝えしたい事は、

「なぜ自分はそう感じたのか?」

「なぜあの人はそう行動したのか?」

と考えをめぐらせて言葉にするという事は、「リアルに使える」技術であるという事です。

 

もちろん人間をより高尚な高みに導く「思考」といいうものが存在するとは思います。

でもそれだけではない。はずです。

 

眼の前に現れた「ムカツつく奴」に心を乱されず、なんか「いい感じ」にやっていく。

という現実社会でリアルに、そしてわりと緊急を要する事態に対して有効な「考える」という行為がある。

 

そして、その行為を支える思考力は、読書感想文なんて宿題を真面目に取り組んだ子に定着するものだ。

 

そんな事を私は考えています。

 

 

お子さんは読書感想文を書いていますか?

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。