読解力を疑う前に

2018年12月6日

Vol.777

 

つばめ学院の関口です。

 

今日は国語についてのお話を書こうかと思います。

 

国語に関するご相談で最も多いのが、

「うちの子は読解力がなくて困っています」

というお話です。

 

国語に関するお悩みといえば、ほとんど他にはないかもしれません。

そして、「読解力がない」と言われる方のほとんどが

「普段から本を読まない事が原因だと思うんです。」

と言われます。

 

 

「読書」をすれば読解力は上がるのか?

先のご意見を裏返すならば、

「読書をすれば読解力は上がる」という事になります。

 

これは果たして本当でしょうか。

塾で出会う生徒の中には、不思議な事に「(特定の)本は良く読むが、国語の読解文は全く読めない」という子もいます。

こういう子を見ると、「読書」が「読解力向上」の特効薬とも言えない気がします。

 

そこで、「読解力」という漠然とした能力を疑う前に確認して頂きたい事があります。

それが、

お子さんの「語彙の量」です。語彙力と言っても良いです。

 

私が接した子の中で、「語彙が不足している」ために全く文章の意味が分からないという子は非常に多いのです。

更に難しいことは、

「語彙が少ない子は、自分の語彙が少ない事に気づいていない」という場合が多いのです。

結果として、

「自分は読解力(読むセンス)がない」と思い込んでしまっています。

 

 

どう見えているのか

ここである文章を見ていただきたいと思います。

文化と文明の意味や違いについては、昔から多くの論争がおこなわれてきた。西洋では、学問・宗教・芸術など精神的生活に関わるものを「文化」、生産過程・経済活動・流通や移動方法など人間の物質的所産に関わるものを「文明」と呼ぶのが普通のようである。その立場をとるなら、科学は文化の諸相の中核を成し、技術は文明の基礎と言うことができるだろう。

 池内了「科学と人間の不協和音」

 

こちらは中3の模擬試験で使われた文章の一部を抜粋したものです。

中学生はこの程度の文章の意味を理解する事が必要とされていますが、読解力の前に語彙力はついていけているのでしょうか。

 

もし上の文章で、「論争」「西洋」「学問」「宗教」「芸術」「精神的」「生産」「過程」「経済」「流通」「物質的」「所産」「立場をとる」「諸相」「中核」「基礎」といった言葉の意味を自分なりに答えることができないとすれば、読解力ではなく語彙力が足りないのではないでしょうか。

 

実際にこれらの単語を黒塗りにしてもとの文章を読んでみようとしても、さっぱり意味が分からないのは当然です。

しかし、その事に自分で気づく子は皆無です。

 

 

知識が必要なら増やせば良い

今日のブログでお伝えしたい事は、読解力のない子がいかに無力であるかという事ではありません。

そうではなく、

「もしお子さんに読解力がなくて困っているならば、それはセンスが足りないのではなく知識が足りないだけ」だと言うことです。

 

センスを磨くことは非常に大変な事です。

高度な技術と時間がかかるかもしれません。

 

しかし、知識なないだけなら簡単です。

なぜなら、知識は増やせば良いだけだからです。

「言葉を知らない」のなら「言葉の知識」を増やせば良い。たったそれだけの事です。

 

先の例で出した、「読書はするが読解問題が解けない子」の場合は、読書のジャンルが特定の分野に偏っていたために、習得した語彙の内容が偏ってしまい、いわゆる「国語で出てくる語彙」について全く知識がないに等しい状況でした。

 

国語の読解力というと、なんとなく音楽や運動のようなセンスに近い感覚を持つ方が多い気がしています。

そして、その原因を「読書習慣がなかったからセンスが育たなかった」という過去の体験にもとめる傾向を強く感じます。

中3の時点で「センスが育っていない」と判断されたのでは、なかなか挽回のチャンスはないかもしれません。

しかし、「知識が足りない」という事であれば、大いに挽回も可能なんです。

 

必要な事は「センス」ではなく「知識」です。

 

つばめ学院の国語の授業では、小学生も中学生もかならず「ことばのテスト」を毎回の授業で受けてもらいます。

接続詞や指示語の使い方などの前提として、「ことば」が分からないと文章は読めないからです。

 

お子さんは「ことば」の知識を持っていますか?

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。