生徒を叱った話

2019年5月14日

vol.797

 

つばめ学院の関口です。

 

突然ですが、今日は中1の生徒を叱りつけたのでその事について書こうと思います。

いつも楽しく笑顔で授業をできれば理想的ですが、教育サービスを提供しているからには時に厳しい事を言わなければならない時もあります。

 

 

気の緩みを厳しく注意

これから中学で初の中間試験を受ける中1生はとてもやる気に満ちています。

今日も夕方から自習に来て夜まで頑張ってくれていました。

 

私が注意したのは、夕方の勉強を始める前の段階でした。

「試験勉強のために塾に自習に来る」という行為が中1生にとっては特別な事のようです。

塾に来ただけで気分も高揚し「やった気になってしまう」というのもある程度は仕方ないと流しています。

 

見過ごすことができなかったのは、ある生徒の発言でした。

「おれ、たぶんラクショー!だって、○○になら絶対勝てるもん」

と、明らかに学力差のある子の名をあげて油断していました。

 

「お前がここに自習に来てるのは何のためなんだよ。100点取るって言って、そのために来て勉強してるんじゃないのかよ!わざわざ塾に来て、"コイツになら勝てる"相手探してどうすんだ」

 

 

争うのはあくまで自分

目標や努力水準を他人と比べるというのは本当に意味のない事です。

キレイ事かもしれないですが、やはり「争う相手は自分」でないといけないですよね。

 

今日の生徒を注意した理由は、せっかく「自分の上」に掲げた「満点をとる」という目標を勝手に「自分の下」に変えたからです。

努力しなくても勝てそうな「下」を見つけて安心してしまう。

その考えがずっと固定してしまうのは非常に危険だと私は考えています。

 

 

下を見ながら生きる大人になってほしくない

実は「下を見る」という発想は、私が生徒に対して感じているというより大人に対して感じたりします。

 

折に触れて生徒に話すことで、

「ミライの自分をみて生きていける人と、自分より下がいないと生きていけない人がいる。」

という話があります。

 

ミライの自分を見て生きていける大人は本当に幸せだと思います。

まわりで見ていても、とても楽しそうです。

 

他方、自分の下を探す人もいるのではないでしょうか。

自分よりも弱い人

自分より恵まれていない人

そういう人を「自分の位置を確認するため」に利用するような生き方があるように感じます。

 

「自分のために」弱い人、恵まれない人を探しながら生きるような生き方を、生徒にはしてほしくないです。

 

かくいう私もそういう部分があるのだと思います。

「自分の下を探す」という発想が全くないのであれば、きっと私はこんな文章を書いていないし、書けないと思います。

「そういう要素」をゼロにする事はできないかもしれないですが、なくす努力をしながら前進する事はできるはずです。

 

私自身も前進します。同様に生徒達にも力強く前進する人になって欲しいと願っています。

 

自分の弱さに向き合いながらも、「強さ」を持った人は素敵ですから。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。