2019年12月5日
vol.815
つばめ学院の関口です。
和光市内の公立中学の期末試験が返却されました。
つばめ学院の生徒たちの点数もほぼ出揃ってきましたので、今日はその中からお話を書きたいと思います。
今日はちょっとした奇跡のお話です。
大きな飛躍
市内の中学に通っているその生徒が今回の期末試験で、80点台の後半をとってきてくれました。
90点に迫ろうかというその数字の持つ意味は、もちろん個々人によって違うと思います。
その生徒にとっては、とんでもなく大きな飛躍です。それこそ奇跡のような。
実際、この生徒はいままで60点台も70点台もとったことがありませんでした。そんな子がいきなりの80点台後半です。
「いったい何があったんだ?」
友人たちは大騒ぎです。劇的な得点アップは塾内でも一番の注目になりました。
何が起きたのか
日々の指導をしていた私はというと、実はそれほど大きな驚きはなかったんです。
期待以上に頑張ってくれた事は事実ですが、その子にとっての変化は試験よりずっと前に起きていました。
それは分かりやすいほど明確な変化です。
今日はその変化と、それがなぜ起きたのかについて書こうと思います。
同じような伸び悩みを抱えている子の参考になるかもしれません。
決して私が生徒自慢をしたいだけではありません。(いや、本当はメッチャしたいんですけど)
レデイネスが全てを変える
「レディネス」という言葉が教育の業界にはあります。
この言葉は日本語で「学習準備段階」と表現されたりもします。
このレディネスは「能力」と「意欲」の両面を見ます。
そして、そのレディネスに応じた対応を生徒ごとにすることで、その生徒に最適な指導ができるという考え方です。
前回の中間試験の頃から、私は全ての講師に対して一つの指示を出しました。
「この子の質問には全て”答え”を教えていい。解き方を全部教えて欲しい。無理に問いかけはいらないから。」
指示の前提にあったのは、この子が学力的に基礎で苦戦しているという点と、なにより意欲が低いという点です。
それでも塾に来る以上はやる気はあるはずです。
数学なら分からない問題の解法を全て教えます。英語は分からない単語の意味も文章の訳も全て教えます。
どうすれば問題が解けるか全部、先生が教えてくれます。
そういう状態でその生徒はどうするか?
もちろん質問しまくります。なにせ先生に聞きさせすれば問題がどんどん解けるんですから。当たり前ですが全問正解です。
きっとその子が今まで目にしたことがないくらいに、丸が連続するテキストになります。
それを続けるうちに、少しずつ変化が起きます。
手が止まっているところを見かけて、私がすぐに教えようとします。
「あー、そこね。その問題は・・・」
「ちょっとまって。この問題さぁ、見たことある気がするんだよね。たぶんできるから、待って。」
もちろん、すぐ前のページで類題を解いている問題です。
この子が教えてくれる事があると思います。
誰だって「知ってることなら言いたくなる」
誰だって「できるものはやりたくなる」
誰もがそんな自然な感覚を持っているはずです。やる気がないとすれば、「分からないこと」が多すぎるのかもしれません。だとすれば「分かること」になるまで徹底的に答えを教えることも「アリ」なんだと思います
次第にその子の「ちょっと待って」は多くなります。
できなければすぐ聞きます。でも少しでもできそうだと感じると「ちょっと待って」になります。
この期末直前の時期はまさにそういう状態でした。
「なんでも教える先生」と「自分で考えさせる先生」はどちらが良いのか?
そんな事に正解はないと思います。強いていうならば、
「生徒の状況に応じて、両方(またはその中間)を使い分けられる先生」ということになると思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。