2020年4月12日
vol.838
つばめ学院の関口です。
緊急事態宣言を受け、どの学校も休校状態が続いています。
つばめ学院では、この1週間の授業は全てリモートで行いました。週明けの明日からは席を離しての分散授業とリモート授業を併用して授業する予定です。
この緊急事態宣言下で教育業界の人たちが思う事は同じのように思います。
それは「子ども達の学びを止めない」ことです。
いろいろな企業が動画を公開したり、教材を公開したりしてくれています。
学生の学びを止めないために、まさに日本の教育者が一丸となって困難に立ち向かっています。
そんな中、私のような人間も何かできないか、、、と考えた結果が今日のブログです。
勉強を「分かるようにする」も大切なんですが、「やる気にせる」も塾の仕事としては大切だと思います。
ということで、今日は家にこもることを余儀なくされた学生が少しでも「やる気になる」ことを狙って書きます。
気に入っていただけたら是非ともお子さんに紹介してあげてください。
前置きが長くなりました。
なぜ勉強をするべきか
ではここからは、学生である「君」が読んでくれる事を期待して書きます。
今日のテーマは「なぜ勉強をするべきなのか」です。
このテーマは良いですよね?
今日、僕の話を聞いて(読んで)、「なるほどね!」と納得してくれれば、君だって今よりはもう少し勉強に前向きになれるはず。
僕はそう思っています。
でもこの「なぜ勉強をするべきなのか」という問題は実は奥が深いのです。
ちょっと、本題に入る前に準備が必要なんです。うん。
「準備とか面倒だなぁ」と感じた「君」。ちょっとまってね。。。どうしても避けて通れない道なんです。
少しだけお付き合いください。
m(_ _)m
大人は知っている
まずこの準備で思い返してほしいことがあるんです。
それは、「大人」が「勉強」に対してなんと言っているのか?です。
多くの大人が2パターンの反応に分かれるはずです。
「自分は勉強してこなかったけれど、勉強をしておけば良かった。」
「自分は勉強をしてきたけど、してきて良かった。」
この2パターンじゃないですか?
逆に言うと
「自分は勉強してこなかったけれど、本当に良かった。勉強しなくて良かった。」とか
「自分は勉強してきたけど、やらなければ良かった。後悔してる。」
って大人はいないと思いません?まあ、いてもかなりの少数派であることに反論はないですよね?
あ、これ、どっちが正しいか?じゃないですよ。
どっちが多いですか?ですから。
誤解のないようにね。
その価値を知るために必要なこと
ここで「君」の想像力を使わせてください。
ぜひとも僕にご協力をお願いします。
「君」には"まるお君"という弟がいます。
まるお君は小学1年生。かわいいですね^^
みんなで街の中華料理屋さんにご飯を食べにきました。
そこでまるお君が言い張ります。
「ぼく、自分のラーメン食べる!」
今までまるお君はラーメンを1人前食べきれたことがありません。
それでも、まるお君は譲りません。
「今日は絶対に食べられるから!」と。
そんな時、「君」はどう思いますか?
「また、まるおは食べられもしないくせに、、、」と思いませんか?
つまり、まるお君は自分が「どの程度食べられるか」が分からないんですよね。
なんか美味しそうだから全部食べたい。いっぱい食べたい。だから「こどもラーメン」ではなく大人のラーメンが食べたい。
ま、多くのケースで、まるお君は途中で「おなかいっぱい」となるわけで、それは「君」が予想した通りなんです。
で、やっと、話を戻します。
「なんで勉強をするべきなのか」です。
僕はこの問いに答えることができます。
しかし。
「君」はその事を理解することができません。
いや、まあ。まあ、まあ。ちょっともう少しだけお付き合いください。
勉強の価値・重要性、いや「勉強できることの価値」というのは、実は勉強することでしか理解できないんです。
もう1つは一定の社会経験を積むことです。
つまり、
「勉強した人」か「社会経験を積んだ人」のどちからでないと、勉強の価値は分かりません。
本当に申し訳ないんだけど。
「君」が「なぜ勉強をするべきか」の答えを理解するには勉強が足りないんです。
つまり、いまの「君」はさっきの"まるお"君なんです。
まだ成長が未熟で、自分の「食べられる量」が分からない"まるお"君です。
「なぜ勉強をするべきか」なんて自明な疑問を感じている「君」は大人から見たら"まるお"君なんです。
なんでそう決めつけるのか。
それは明らかですよね。
だって「君」のまわりの大人がそう言っているんですから。
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「自分は勉強してこなかったけれど、勉強をしておけば良かった。」
「自分は勉強をしてきたけど、してきて良かった。」
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こんなふうに。
長々とごめんなさい。
僕の結論は1つです。
「なぜ勉強をするべきなのか?」
それが知りたければ勉強しなさい。
いま「君」には時間がある。勉強する時間がある。
ならば勉強しなさい。
そうすれば分かります。
「勉強する意義」が分かります
「勉強する価値」を感じらます
「勉強する機会」の貴重さが見えます
はっきり言いますね。
「君」は「なぜ勉強をするべきなのか?」という問いの答えを理解するための勉強が足りないんです。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。