勉強すると「幸せ」になります

2020年5月8日

vol.849

 

 

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つばめ学院の関口です。

最近、自宅での食事が増えるとともに納豆の消費が増えてます。

毎日食べても「納豆うまい!」で感動できるんです。すごいですよね。全然飽きないし、食べるたびに「うまい!」

 

という事で今日のブログは「幸せ」について書いてみます。

 

 

大切なものは何?

塾の仕事を始めたころからだと思います。

これまでの人生では向き合ってこなかった「幸せ」を意識することが増えました。

 

いまでも思います。

私は「幸せ」になりたいと思っています。

偉くなりたいでもなく、お金持ちになりたいでもなく、「幸せ」になりたい、です。

 

もちろん、「お金を得ること」=「幸せになる」であれば、特に悩むこともなくお金を稼ごうと思います。

しかし、そうでない事は多くの人にとっては自明です。

お金だけでは幸せになれない。

お金が全くなくて幸せになるのも難しそう。

 

おそらくここまでの感覚は多くの方に賛同して頂けるのではないでしょうか。

 

 

 

with コロナの時代

いま多くの人が不本意な生活を余儀なくされています。

いつ終わるともしれない自粛生活に耐えています。

 

この自粛が明けた先に希望はあるのでしょうか?

 

私はこの事については、見方をかえていく必要があると思っています。

この先の「with コロナ」の時代において、コロナ以前のように「経済を取り戻す」ことは簡単ではないはずです。

この危機を乗り越えるために発行する国債もあります。

日本は超高齢化時代をむかえ、現役世代が少なくなることは明白。少子化問題も解決の糸口はみえません。

 

こう書くと何やら暗い気持ちになってしまうかもしれません。

でも私が考える目標は「お金(だけ)」ではないんです。

あくまで「幸せになりたい」なんです。

 

この微妙な違いをどう考えるのか。

必要なものは何なのか。

そんな話しを先日の教室でお話しました。

 

 

感じるチカラ

ここ数週間の私の生活を振り返っても確信することがあります。

それは、

日々の生活の中に「幸せを感じるチカラ」というものが確実に存在することです。

 

おそらく「幸せを感じるチカラ」こそが「幸せになる」の必須技術なのではないでしょうか。

少なくとも私がそうだった事があります。

良い就職をして、お金をたくさん稼ぐ。その事が「幸せ」につながるはずという根拠のない思い込みです。

 

目標が明確でない時にはそういった思い違いが起こりえます。

目標を「幸せ」に絞るならば、「幸せを感じるチカラ」の存在は大きいです。

 

私がよく教室で話す事があります。

それは、「人は"言葉"で感じる生き物である」という話です。

人が何をどう考えるのかは、"ことば"に支配されています。

 

「侘しい」「寂しい」という言葉を知らない人は、侘しさも寂しさも感じることはできません。

 

目の前にある正解を「どれだけ細かく」感じることができるかは、その人の「知識」に依存します。

「感性」ではなく「知識」です。

 

動植物の生態に関する「知識」があれば、環境の変化や四季の移り変わりに感動できるかもしれません。

「知識」のない人にとっての「環境変化」は、せいぜいのところ「温度の変化」程度にすぎません。

 

誰にとっても同じように見えているものに、どれだけの「違い」を見いだせるか。

それをある意味では「教養」と呼ぶのだと私は思います。

 

そして、その「教養」を蓄えるうえで、学生の「勉強」は大いに役に立ちます。

これは断言できる結論です。

 

結論をまとめます。

いまの「勉強」は「教養」を高めます。

「教養」は目の前の現実に様々な意味づけをします。

その「意味」を知ることで我々は「幸せ」を感じることができます。

 

先の見えない「with コロナ」時代。

この時代を幸せに生きるために、「勉強」は大きな力を与えてくれるはずです。

私はそう確信しています。なぜなら私が「幸せ」を感じられているからです。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。