新解釈「3人のレンガ職人」

2020年12月1日

vol.874

 

つばめ学院の関口です。

 

昨日に引き続いて連日の更新ができました。

しっかり更新頻度を上げていけるように頑張ります。

 

実は昨日の夜に、何の前触れもなく思いついたことがあるので、そのお話を書かせてください。

今日のブログは実践的なノウハウから少しだけ離れます。

 

 

3人のレンガ職人

いきなりですが、「3人のレンガ職人」というお話をご存知でしょうか。

実は私はイソップ寓話に入っていると思いこんでいたのですが、調べてみると、もともとの出典があまり明らかになりませんでした。

まあ、出自を探ることが目的ではないので、今回はお話の内容をかいつまんでお伝えします

 

ある旅人が、レンガを積んでいる職人に声をかけます。

「何をしているんですか?」と尋ねると

「見りゃ分かるだろ!レンガを積んでるんだよ。」とめんどくさそうに答えられます。

 

さらに歩くと、またレンガを積んでいる職人を見かけます。

「何をしているんですか?」と尋ねると

「ああ、今ここに壁を作っているところさ。大変だけど、これが俺の仕事だからね。金をもらってるからにはしっかり頑張るよ。」

と、職人。

 

そして、さらにまた歩くと、やっぱりレンガを積んでいる職人に出くわします。

「何をしているんですか?」とやっぱり尋ねる旅人。

「これかい?これはね、教会の大聖堂をつくっているんだよ。素晴らしいだろう。この町に立派な大聖堂ができるんだ。皆がここで幸せを願って祈りを捧げるんだよ。素晴らしいだろ!」

と職人は意気揚々と答えます。

 

 

目的意識が大切という話(?)

このお話自体は、ビジネスパーソンが社内研修で聞いたり、ビジネス書に載っていたりするお話です。

割と有名な話だと思います。

私もいつどこで知ったのかは覚えていませんが、何度か聞いた記憶だけはあります。

 

このお話の解釈としては、

「たとえ同じ仕事であっても、その目的をどこに置くかでモチベーションが大きく変わる」

という事を伝えることが多いです。

 

ですから、「仕事の意味を考えようね。そうするとつまらない仕事も大切に思えるよ」と研修なんかで言われるわけです。

 

 

 

 

さて。とっても長い前置きでした。

 

実は、このお話って、「勉強」にも通じるんじゃないか。と私は思ったんです。

なんの前触れもなく。

 

最後にその解釈をお伝えできればと思います。

 

 

目的を知らされていないだけ

このお話の角度を変えて見てみると、別の見方もあると思うんです。

 

1人目の職人は、なぜただレンガを積んでいただけなのでしょうか?

もちろん、その職人には「目的」なんて何の関心もなくて、ただ作業をすれば良いと思っていたのかもしれません。

しかし、「知らされていない」という可能性もあると思うんです。

 

雇い主から、「とにかくレンガ積め」と命令されてやらされていただけ。

その職人は、ただ言われた通りにレンガを積むだけ。

これでは、職人の仕事も苦行になってしまうのはずです。

 

そして、同じ「レンガを積む」という作業であっても、目的が明確な「3人目の職人」にとっては、それは(大聖堂の建築という)偉業の一部です。

肉体的な辛さは同じでも、決してこれを苦行とは言わないでしょう。

 

 

これって、「勉強」の本質を付いている気がするんです。

どんな仕事や作業であれ、その「目的」は必ずあります。

しかし、そこに意識を向けられるかどうかは、人それぞれです。

 

そして、その「目的」に意識を向けられる人になれるかどうかという点において、「勉強」は必ず役に立ちます。

そう考えると、「勉強」も前向きに考えられるのではないでしょうか。

「勉強なんて役に立たない」と言う子の多くは、その仕事や作業を効率的にこなす事を念頭においています。

 

しかし、「勉強」の価値はそこにないと思うんです。

どんな仕事や作業をする事になっても、そこに「意味」を付与する力を養える事が「勉強」の価値なんです。

 

将来、お子さんが、どんな仕事や作業をするとしても。

そこに「3人目のレンが職人」の視点を持つことができれば、きっとその子の人生はとても深みのあるものになるはずです。

 

お子さんは「勉強」の意味を理解していますか?

 

 

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。