コロナ禍がもたらした変化
2021年4月28日
vol.887
つばめ学院の関口です。
5月にイベントのトークセッションに参加させて頂くことになりそうです。
詳細未定なので、また分かりましたらご連絡させて頂ければと思います。
そのトークセッションの内容が「コロナ禍の1年を教育から振り返る」というようなお話が想定されているようです。
急にお話をするよりも、一度ブログでまとめておいた方がスムーズに話せるかな。という思いもあり、今日のブログのテーマに使わせて頂きます。
この激動の1年間で塾の現場はどう変わり、今後の教育現場はどういう方向性で動きそうなのか。
教育の再定義
ちょっと重たい言葉を使いましたが、塾とか学校が「何をするところか」という事をみんなが意識し直した方がよさそうだ。という意味です。
塾や学校で「勉強を教える」という言葉で多くの人がイメージするのは、「知識の伝達」だと思います。
先生が前にいて、生徒が机に座ってうける授業が典型的です。
で、このイメージはこれから変わってくるだとうと思います。
とくにオンライン授業などを活用しようとすると、その傾向は顕著になります。
「知識の伝達」よりも「知識の習得」により力点を置いて「授業」は進められることになるし、授業を受ける側もそういう意識の方が良いです。
もう少し詳しく書きます。
私が学生時代に受けてきた「授業」はまさに「知識の伝達」でした。
先生が知らないことを教えてくれて、私は必死にノートをとって教わったことを受け止めるわけです。
しかし、コロナ禍でオンラインや分散授業など、従来のやり方では「知識の伝達」は非効率になりました。
他方で「分かりやすいテキスト」「QRコード付き教材」「有料・無料の良質な動画」など、以前では考えられないほどの道具を我々は手にしました。
「知識の伝達」を人が直接、リアルタイムで行うことはもはや非効率になりました。
では、便利な道具を与えれば生徒は勝手に学び始めるのか?
もちろん、答えはNOです。
「知識の伝達」を実現する道具が溢れているのに、各生徒の「知識の習得」が進まないとすれば課題はどこにあるのか。
そういう点を個々の生徒を見ながら見つけ出し、対応する。そういう事こそが大切になりました。
「知識の伝達」にかける労力を大きく下げることにより、「知識の習得」にかける労力を大きくとれるようになったのです。
大切な事は動機づけ
話が抽象的すぎるので、もう少し具体的に書きます。
つばめ学院も1回めの緊急事態宣言でオンライン授業に移行していました。
その時に「勉強の説明」を私がすることはほとんどありません。基本は動画を見て理解してもらいます。
大切なことは、その「動画を見る前後」に何を言うか。何を考えさせるか。です。
前後が大切なのであって、真ん中は「分かればOK」という程度です。
動画を見る前に伝えることとして、
「よっし、次からは乗法公式の問題ね。乗法公式はさ、絶対に覚えないといけない。でもね、実際は覚えなくてもこの問題は解けるんだ。で、”問題解ければ良いや”で公式覚えない奴は、この後の因数分解で苦労するからね。いまは”公式をしっかり覚える練習”って意識で問題に取り組むんだからね。」
「現在完了ってね、日本語にない概念だから最初は分かりにくい人も多いんだ。いきなり分からなくても大丈夫だから、まずはぼんやりでも理解をして、あとはたくさんの問題を解いてみて。解きながら、”どういう意味だろう”って考えて。そこでモヤモヤしたのは全部質問に持ってきてね。日本語にない概念、って外国語を勉強する醍醐味だよね。単に翻訳できるだけじゃなくて、”考え方”を理解できるようになるから。」
どういう学習をどんな姿勢や意味付けで取り組むかを示し、あとの説明は動画やシステムに任せてしまう方法が効率的です。
繰り返しになりますが、その分だけ私は個々の生徒が持つ「知識の習得」を妨げる課題に向き合うことができるようになりました。
動画を見て、問題演習をしてもらったらノートをチェックします。
(オンラインの場合は写真にとって、LINEで送ってもらいます。この程度のリテラシーはいまの中高生は楽勝です。)
「 Tom and Ken ☓( plays ) soccer everyday. うん。これ間違いだったのね。」
「はい。playsではなくplayが正解でした。」
「ふーん、、、なんで?」
「え?」
「いや、動詞の前がKenだからさ。三人称単数なら君が書いたplaysで正解なんじゃないかなって思ったんだけど。違うの?」
「え?あれ?そうかな、、、もう一度答え見直してみます!」
とか言って、怯んでしまう子は見直しができていません。もちろん、どういう理由で間違えたか、次回からどういうレベルまで確認しないといけないかを説明はします。
しかし、放っておくとただの○☓をつけて、「知識の習得」に至らないケースは実は多いんです。
それとは逆に、こんな良い質問が来たりもします。
「先生。なんでこれが間違いなのか納得できません。」
「ふん。Reading many books ☓(make) you smart. ね。答えはmakeではなくmakes、か。」
「なんでmakesなんですか?」
「なんで君はmakeが正しいと思ったの?」
「動詞の前がbooks、複数形だから。」
「素晴らしい!そうだうよね。主語が複数の場合は動詞のsはいらないから。それで君はmakeと書いたんだね。その考え方でバッチリ合ってるよ!じゃあなんで、今回は☓なのか。これ、本当に主語が複数なのかね?主語は日本語でどうなる?」
「たくさんの本を読むこと。」
「そう。たくさんの本を読むこと、自体は1つとか2つとか数えない。だからこの場合は単数として扱う。」
・・・・
「君はこの問題を解くまでは、動詞の直前を見て主語を判断していたね。でも、この問題で、もう少し範囲を広げて正確に主語の範囲を見ないと間違えることを知った。次からの問題を解く時はさ、”主語はなにかな”ってところを少し注意深く意識しながら解いてよ。」
「知識の伝達」から「知識の習得」へ
この動きの変化を感じて頂ければうれしいです。これはコロナという社会的な状況と、ITをはじめとした技術的なバックグラウンドがあって変化が加速したと感じています。
今日はブログが長くなってしまったので、ここでいったん終わります。
実は当初の予定では、もう1つポイントを用意していました。
これは次回のブログにまわします。
そのポイントは「システムに任せること、人がやるべきでないこと」です。
この1年の経験では、「人がやるのが当たり前」と思われてきたけれど、実際は人がやるべきではないもの。
という事がよく見えてきました。次回のブログでは、その点をお伝えしたいと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。