賢者と愚者の話
2021年9月3日
vol.904
今週から学校も始まり、制約が多いなかでも新生活がスタートしました。
今日はこの夏期講習の中で、生徒達にお話してきたものの1つをご紹介しようと思います。
賢くなった気持ちで
今年は多くの生徒にとって、「楽しい!」と無邪気に喜べる夏休みではなかったかもしれません。
我慢する事も多い中で、さらに塾に来て勉強をする生徒達には、是非とも「賢い大人」になってほしいと思っています。
今日のお話は、なにをもって「賢者」と「愚者」を分けるかというお話ではありません。
生徒たちに「賢者」になった気持ちで考えてほしいお話です。
賢者は愚者に悩まされる
ほとんどの生徒は、やはり「賢者」になるべく勉強をしているはずです。
本物の賢者は違うかもしれませんが、賢者になろうとする者が知っておくべき事があります。
(と、何かの本に書いてあったということです。)
それは
賢者は愚者に悩まされる
ということです。
生徒達はこれからどんどんと「賢く」なっていきます。
そして、賢くなればなるほど、愚かな人の愚かな行いに頭を悩ませることになります。
そこで問われます。
「では、あなたも愚者になりますか?」と。
その問に「NO」と言いながら前進するのが賢者への道ではないでしょうか。
少し具体的に例を出します。
あたなは時間をきっちり守る性格。そして友人は「いつも遅刻」する人。
毎回、自分だけ待たされるあなたは、友人の遅刻に腹を立てます。
その友人に「自分と同じ思い」をさせようとするのは簡単ですよね。
あたなが友人以上に遅刻すれば良い。ということです。
そこで問われるのは、「あなたは遅刻する人で良いのですか?」ということです。
一周まわって元の場所?
ここで生徒からも意見が出ました。
「え?じゃあ、結局は同じじゃん。結局自分は友達待つしかないんだよね。」
そうなんです。
賢者が愚者に悩まされるという構図は変わらないんです。
しかし、ここに根本的な大きな違いがあるんです。
それが、
「不満足であっても、その現状を受け入れる」という判断をしているという点です。
どんなに納得のいかない状況であっても、それが「ただそうなった」というのと「自ら選んで受け入れた」のでは天と地ほどの差があります。
どのような状況であれ、
「自ら選んで受け入れる」という決断を常に繰り返す人生は、漫然と生きる人生の何倍も深く、輝きに満ちているのではないでしょうか。
最後にマザー・テレサの言葉をご紹介して終わります。
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。
持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。