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ググればいい?

ググればいい?

2021年12月2日

vol.916

 

先日、Facebookのタイムラインに興味深い記事のリンクが流れてきました。

「“ググればわかる正解”を公教育で教える悪循環最短3年で公立学校を改革するNPO法人の挑戦」

という記事です。

 

このNPOの代表をされている石黒さんは、

ググればわかるような「正解」を教えることばかりを学校がすることで、自分自身や他者との対話が少なくなってしまい、教育の場に「緩やかな孤立」ができてしまっていると問題提起されています。

 

 

感じる違和感

まずはじめに、私はこの石黒さんの活動を批判するつもりは全くありません。立派な活動だと思いますし、何より自分の問題意識に基づいて行動を起こしていることがとても素晴らしいと思います。

 

ただ違和感もあるんです。

それは「ググれば良い」と一刀両断してしまう現代の流れに対してです。

私は塾の現場でもっと別の次元のことに頭を悩ませています。

そして、私が目にしている光景は、実は日本の教育環境が持つ課題の多数派なのではないかとも思うのです。

 

そのような意味から、今日は私が感じている問題意識をブログに書こうと思います。

「公教育の改革」のような華やかなお話にはなりませんが、つばめ学院が日々取り組んでいる私教育のリアルを是非知ってください。

 

 

ググれない

「ググる」という言葉があります。

英語を交えて書くと「googleる」となるでしょうか。

Googleをはじめとする、インターネットの検索エンジンでキーワードを入力して調べることを動詞化して「ググる」と言ったりしています。

 

インターネットの普及により、実に多くの知識が一瞬で手に入るようになりました。

今までは書籍や資料で調べる必要のあった事が、いまはスマホを使えば一瞬でわかります。

そのことから、実に多くの大人が「調べて分かる知識には価値がない。それよりも、その人の考え・意見こそ価値ある情報である。」という主張をされています。

 

これはこれで私も完全に同意します。

ただし、です。

いまの多くの中高生はそのレベルには「ない」と断言します。

「ググれない」のです。

いや、「ググろうと思わない」のかもしれない。

 

そして、その課題の方が圧倒的に大きな問題だと思っています。

調べればすぐ分かることを調べようとしないし、しようとしても「すぐに分からない」ということです。

 

 

スマホで調べ学習

つばめ学院では、中3受験生に「スマホ封印」をおすすめしています。

そして、実に多くの生徒がそれに(はじめは)反発し、「スマホがないと調べながら勉強ができない」と訴えます。

そんな訴えは「ウソ」ですけど。

 

試しに「六波羅探題」をネットで検索しみます。

トップはWikipediaのヒットです。概要の説明はこんな感じです。

六波羅探題(ろくはらたんだい)は、鎌倉幕府の職名の一つ。承久3年(1221年)の承久の乱ののち、幕府がそれまでの京都守護を改組し京都六波羅の北と南に設置した出先機関。探題と呼ばれた初見が鎌倉末期であり、それまでは単に六波羅と呼ばれていた。

 

この文章を中学生くらいの子が読んで「納得する」のは非常に難しいと思います。

「職名の一つ」と言われたって、納得できないですよ。いや、説明としては正しいですけど。「出先機関」と言われてすぐに理解できる中学生が何人いるでしょうか。

 

教科書の説明はどうか?

(前略)しかし幕府は大軍を送って上皇の軍を破り(承久の乱)、後鳥羽上皇を隠岐(島根県)に流し、京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視しました。

 

圧倒的に分かりやすいです。当たり前ですが。

つまり中高生にとっては、ネットで調べるよりも教科書の方が分かりやすいのです。

中高生に必要なことは、いまの時期にしっかりと勉強をして「Wikipedia程度」の文章を理解して活用できる程度の知識と読解力を身に付けることです。

 

そもそも未熟な状態では「ググって」も大した情報は得られないのです。

 

 

もう一つ大切な”関心”

更に大切な事は「ググろう」と思うかどうかなんです。

例えば「アフガニスタン」と聞いて、それが国の名前であることが分かる子は多いと思います。

つい先日、駐留米軍が撤退したことまで知っていると良くニュースを見ている子だと思います。

それでも、「アフガニスタン」の場所を地図でさせる子は少ないのではないでしょうか。

 

地理的には中東と呼ばれる地域ですが、その中でも東の端にありますので中国に隣接しています。

米軍の駐留が何かと世界情勢に影響を与えるのもうなずけます。

「アフガニスタン」がどこにあるかという情報は、それこそ「ググれ」は一瞬で分かります。

ここでの問題は「どこにあるか」なんて気にもしないし、調べようとも思わない関心の低さではないでしょうか。

 

関心を引き出す方法として、一つの例をあげようと思います。

問題です。

「国民の三大義務とはなんでしょう?」考えてみてください。

 

はい。あえて答えは書きません。

もし「二つまで出たけど、あと一つが、、、、」なんて方は是非とも「ググって」みてください。すぐに見つかります。

 

ここで強調したいのは、三大義務のお話ではありません。

3つのうちの2つは分かる。となれば、人は残りの1つに関心が向きますよね。

関心が向けば「ググる」可能性が高くなります。

 

つまり、その子が将来、ある知識を「ググる」かどうかは、その周辺知識の量によって大きく影響をうけると思うんです。

 

私は塾の教育で

「ググれば分かることに価値はない。その先が大切なんだ!」と高邁なお話しするつもりはありません。

だって、生徒の多くは「ググる」ことができないし、しようとも思わないから。

 

そんなことより、教科書に載ってる「正解」をたくさん覚えて知識を付けて欲しいのです。

そうすれば「ググる」ことで知識量は大きく補完され、より自由で高度な発想も鍛えることができます。

 

「正解を覚えさせること」が問題なのではありません。

「正解を覚えることすらしない」ことが大問題なんです。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。