つばめ学院の関口です。
私が幼さの指標として気にする言葉があります。
「ズルい!」
という言葉です。
「ズルい」という言葉の裏には、間違った「平等意識」があるように感じています。
(たまに大人でも言う人いますよね・・・)
間違った平等とは何か?
それは、
結果の平等
と
機会の平等
の違いです。
「平等でなければ」という文脈において意図しているのは、とうぜん後者の「機会の平等」です。
私も教育者の1人として、この「平等」には心を砕きます。
他方、「結果の平等」についてはどうでしょう。
「知らんがな」
の一言で終わりです。
こと教育の場では、機会の平等は保証してあげなければならないと考えます。
逆に、「結果は不平等」でなければならないと考えています。
やるべき事をやった子が、しかるべき結果を得る。
それこそが保証すべき平等です。
「あいつと同じくらい勉強して、結果が全然違う。先生、ズルいと思いませんか?あいつ」
そんな事をいう間は、まだ「未熟なんだなぁ」と感じて諭すようにしています。
結果は不平等で良い
ただし、機会は平等に
これこそ、塾が徹底しなければならない哲学だと考えています。
仮に30点の子が「次回は100点をとる!」というのなら、それを認める。
そして、そのために必要なことを「具体的に提示」する。
それが誠実さだと思っています。
「いや、君の場合はまず60点から・・・」
というのは機会の平等ではありません。
徹底的に「機会の平等」を突き詰める。
徹底的に「結果の不平等」を認める。
そういう環境に身をおく子供は、いつのまにか「気付く」ようになります。
世の中の「当たり前の基準」に。
「ズルい!」と叫ぶことが当然のように聞き入れられる環境に身を起き続けた子は、「ズルい!」と叫ぶ大人になります。
そういう大人がどうなるのか・・・
またの機会に書こうと思います。
でも、容易に想像できてしまうかもしれないですね。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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